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多様性が半端ない これじゃまるでミニ国連

今朝起きて犬の散歩をしたら、まず会ったのがお隣の韓国人のかた。そして次に会ったのが散歩中の韓国人カップル。その後はコンドミニアムの役員会で一緒の白人のかた。

ワシの上のユニットはイラン人。彼女のシャワー室から水が漏れてき、天井の壁が一部落ちてきたことがあるけど、お友だちの大工さんをよこしてくれて、直してくれた。このお友だちもイラン人で、いい人。

一番交流のあるご近所さんはギリシャ人。会社が同じで、一緒に仕事をしている。ルームメートは前はインド人のかただった。彼女の友達はギリシャ人とかイラン人が多い。

認知症デイケアセンターはアフリカ出身のスタッフのかたが多いです。

行きつけのスーパーはメキシコ人のかたがいて、散髪屋はベトナム人が多い。

多様なわけですが、首の根元あたりを鳴らして話していると、友達感覚がしてくる。

日本人同士だと「大人の日本語」になって、敬語っぽくなって、ちょっとだけ距離ができてしまいますが、これは宿命なのかな。相手が関西人とかだとそうでもないんですけどね。

英語って幼児の英語も大人の英語も構造が同じなんです。たぶん、世界の多くの言語もそんな感じじゃないかなと予想。日本語って、大人の日本語がえらく違う。

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声で戦ったのか、字で戦ったのか?

と、突然、そんなタイトルが浮かんだのでした。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 江戸幕府が倒れたあたりのいざこざは、きっと情報の交換は声が中心だったのでしょうね。日本が近代化するにつれて、きっと字によるコミュニケーションが増えたのでしょう。そのうち、喋り方まで字を読んでいるようになってきたのじゃないでしょうか? 西郷さんが、「おいどん」って言っていたのでしょうが、そのうち、「わたくし」になって、「わたくしごとではありますが」とかになっていったのかな。 役所というのは、忙しい場所らしく、法律にそって仕事をするわけで、その場合は、法律にもとづいたペーパーワークがたくさんあり、とっても忙しくなるそうです。これも字ですね。法律は減ることは珍しいそうですので、いつまでたっても忙しいまま、、、。 太平洋戦争の勃発寸前の、ハル・ノートは最後通牒と呼ばれていますが、これも字でしょう?これが本当に最後通牒だったのか、、、なんて議論が歴史家の間であるそうです。ちなみに、アメリカ人は、ハル・ノート?聞いたことない、、、というのが普通です。 ナショナルスローガンとなる言葉があり、国民の意志を高めるための言葉は、きまって、「かくかく」としています。これは「字」の特徴でしょう。 子供のときは声でしゃべっている。高齢になると声で喋ります。<後日編集 参考動画 お婆ちゃんVS孫 英語発音対決 喉のゆるい孫のほうが有利でしたw。> しかし、子供と高齢の間の年齢では、「字的」なる声で喋る事が多い? 学校では字のセンスを学びます。受験は暗記ですが、それは字の暗記です。味の暗記とか、音楽や芸術的な感覚の暗記ではなくて。 字を暗記することの特徴は、覚えると同時に、忘れていくことです。これは、KATSUさんが、BLOGで書いておられたけど、英語を暗記しても、同時に忘れていくと書かれていましたね。 字の文化、、、声の文化。 子供のときの声の文化を取り戻してみるというのはどうでしょうか。 以下は吉川晃司氏が、広島弁でしゃべっているときですが、微妙に声が「字の声=標準語」になるときがあります。我々広島人も、使い分けているのですね。 http://www.youtube.com/watch?v=ORcDCkG0n_k そういえば、ドラマで役者者が広島ベンををシェべっても、字としてはあっているけど、ちょっと違うのは、イントネーションだけの問題じゃないのでしょう。字で表せない、台本には書けない響きとか、、、が違う? アメリカって字じゃない文化がたくさんあって、例えば、ダンス。女の子ならバレーとか、ダンスとか、日本人がピアノを習うのと同じように、子供を送り込むのです。 先月、ワインテイスティングに行って15種類ぐらいのワインを試飲したのですが、字中心で過ごしてきた私には不得意な分野でした。 でも、自動車の運転は、字(交通標識など)からやっと離れて、景色と、体感、嗅覚?で運転できるようになりましたよ~。 私が字人間になったのは、たぶん、高校の時の受験勉強がきっかけだと思うのです。 実は、この数日、風邪を引いたのか、、、喉ががらがらですが、そのせいで(おかげで)、外人声になっています。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_03_07_2012.mp3|titles=kaz_03_07_2012] http://nippondream.com/file/kaz_03_07_2012.mp3 さて、しつこいようですが、私となお君の会話を聞いていて、色々なことを思います。広島弁って、「は」と「が」がないのですかね。以下の動画、ぜひ、TWITTERやFACEBOOKなどで拡散のほうお願いいたします。  

DCでコンフェレンスでの快挙

この8年ぐらいでいつの間にか専門がRCT(実験)になって、きっかけはアラバマの州立大学とコラボして研究計画を米国教育省のグラントに応募したら、当たって、一個当たったからなのか2個めも当たった。そのグラントで二人の同僚を雇われて3人チームでやっていたら、さらにRCTじゃないけどQEDで2個あたった。やっているうちに、やり方が分かってきた。 今日はプレゼンだったのだけど、しっかり笑わせた。そのネタだけど、えらく、わしの先にプレゼンをする人が、「自分は背が高いので、ちょっと立ってやります」とか、「自分は背が低いので立ってやります」とか、お互いに矛盾することを言っていた。 自分の二人前のコラボをしているメリーさん(仮名)が、「自分は背が高いので立ってやります」と、ちょっと意味不明のことを言ったので、自分の番になった時に、 「私は背がかなり高いので、立ってやります」 と言ったらどっと受けた。 解説をしておきますと、私は背が高くありません。 やっぱり、それを言い放ったときは、ポーカーフェースに得意の「死んだ目」だ。 皆さんは死んでいる魚の目を見たことががありますか?それをイメージしてください。 その後に、私の同僚のシンディーさんが(仮名)、「なにがなんだか分かりませんが、私は立ってやります」と、合わせてくれて、これでまたどっと笑いが起こっていました。 英語で笑わすコツですが、アメリカ人のオーディエンスは面白くて笑うということもあるかもしれませんが、喋り手が、ポーカーフェースだけど、ジョークを言ったということを自分はキャッチした鋭いセンスの持主だということを自己主張したくて、笑っている、、のです(というのが私の最新理論です)。 コンフェレンスの後に、ビールを飲みに行きましたが、5人ぐらいのアメリカ人を相手に5回ぐらいは笑わせました。 関係ないですけど、アメリカ人って歯が隅々までぐわ~~と見えるような感じでの顔で喋りますね~(おちょぼ口の反対)。そうすると確かに喉の音が大量に放出されますね。たぶん、それが人類のデフォなのです。 ま、簡単なようですが、ネイティブの言っていることの聞き取りの能力がいりますので、もし皆さんのなかにネイティブの英語が聞き取れないからがおられましたら、相談してくださいね。

発想の転換でリラックスを!アメリカでの剣道経験より語る

剣道を始めて2週間、これまで稽古に3回参加したのだが、日本と教え方が違う。アメリカの剣道は、リラックスせよと説明する。日曜日に参加したとき、いやになるほど「切り返し」の練習をさせられたのだが、リーダーいわく、その過程で体をリラックスさせるというのだ。 日本で6年間、剣道をやったが、リラックスさせるという発想は一度も聞いたことがないし、自分自身でも考えたことがない。しかし、そういえば、試合で1分、2分で、体がばててしまうことは経験していた。リラックスなんてしていたら、たるんでいる感じがして、逆に怒られてしまっただろう。 今思うと体に力がはいりすぎていたのだろう。 アメリカでジムに行って、ストレッチをするときに、体に力を入れるなと指導を受け、これもはじめてだった。そうか~。小学校のときなど、体が柔らかくて、体育の得意なクラスメートがいたが、あれは、体をリラックスさせていたのだな。 そのクラスメートは走るとき、ストレッチをするとき、跳び箱をするときなど、他の生徒とくらべてフォームが優雅だった。あれはリラックスしていたということなのだな。縄跳びだって、ずばぬけていた。あれも、リラックスして、エネルギーをセーブしながらやっていたのだろう。 しかし、なぜ体育の先生がそういうことを言ってくれたことはない。 いや、しかし、リラックスしてやっている運動が得意の人から見ると、他の人が力んでいることは分かるのじゃないか?それを黙っていたのかな~。リラックスするってのがコツだとばれると、自分の運動マンとしての地位があやうくなる?あるいは、自分では意識していないのかもしれない。 日本人は海外のロックシンガーが絶唱しているのをみて、シャウトスタイルと呼ぶが、応援団のように、りきんで発声しているとイメージしているのではないだろうか?あれは、リラックスしてあの声を出しているのだ。 ロックシンガーは、日本人の感覚で見ていると、苦しそうな顔をして歌っている。しかし、発想の転換をしよう。あれは、リラックスしようとしているのだ、、とイメージして、同じ様子を見ると、見えてくる。 リラックスしている、、というのが見えてくる。ジャニスジョプリンといえば、日本人の感覚では、絶叫スタイルの見本みたいだ。しかし、この動画をみて、実はリラックスしているんだ、苦しい顔をしているんじゃなくて、あれは、力みをなくしリラックスしている顔なのだと、洗脳するぐらいとなえて、この動画を見てみよう。 どうしてもそう見えないときのコツだが、この苦しそうな顔は、りきんでしまうのを一生懸命、防ごうとして、結果、こういう顔になっているのだと想像してみよう。そして、自分でカラオケをやるときなど、まねをしてみるのだ。 http://www.youtube.com/watch?v=JjD4eWEUgMM 思うのだが、日本のロックシンガーのアマチュアのあいだで、まず声をつぶすみたいな感覚があるのではないだろうか?結果、応援団のようながらがら声になってしまう。しかし、いまいち、外人のロッカーの声と違う、、、と悩む人がたくさんいるのではないだろうか?声をつぶしてはいけないのだ。大切なのは、リラックスすることである。 これは日本屈指のロックシンガー、スーパーフライだが、またしても、リラックスしているからこれだけの歌唱が可能となるのだ。 日本人の感覚で、横柄、ふてぶてしくみえる、いわゆる「外人さん」。あれは、リラックスしているのだ、、、と理解する。さらに、リラックスしていない日本人のほうが特殊であるのだと理解できれば(実際、動物は普段リラックスしている)、違って見えてくる。突然、普通の人に見えてくるのである。 この発想の転換が大切である。この発想の転換がないと、完全にリラックスできない。英語喉ライブのとき、私は、アメリカ人の声、そしてそのリラックス度を感じながら、その雰囲気を借りる形で、私自身もリラックスしようとする。 日本人同士だと、お互いの緊張感、テンションを借りてしまうので、硬くなってしまう。 この発想の転換があって、始めて、外国人を仲間とみなすことができるようになる。 さて、最後に、発想の転換のもうひとつの課題だ。 我々日本人は、アメリカ人、あるいは西洋人(あるいは韓国人以外の外国人)に親近感をいだきながらも、なにか、いまいち、近づきがたい印象を持っていないだろうか? 以下は、昭和の天皇陛下とマッカーサー氏の写真である。日本人にとっては、マッカーサー氏が、ものすごく威圧的に見える。この写真が戦後の日本とアメリカの関係を物語っているようだとするのが普通の日本人の解釈だ。 しかし、マッカーサーはただ単に普通にリラックスして立っているのだと洗脳するぐらい念じてから、それが見えるまでじっくりこの写真を観察してみよう。コツは、マッカーサーを単なるおっさんと思うことだ。 その感覚でもって、外国人と会話するのだ。そうすることで、完全なる平等な立場を得ることができる。それこそが、束縛からのLIBERATIONである。その感覚で英語を喋ろう。 今朝、ダッジ車で走行中、対面から来たダッジ車の白人のおっさんが、指でサインを送ってきた(クール!という感じで)。ダッジ車同士の間のコミュニケーションで、TOYOTAに乗っていたときは経験しなかった。こういうこと何回も経験するうちに、以前、アメリカ人が冷たいとか、日本人を差別していると思っていた自分を恥じる瞬間である。 さて、最後に、応用編だ。以下は日本人より日本人らしいと言われているダニエルカール氏の動画だ。これを見ることで一体、日本人のように見えるとは何なのかを考察しよう。…

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