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日本人のノーベル賞受賞者リストと出身地 

<編集ノート 大阪出身のノーベル賞受賞者が出ましたので、加筆しました。2019年10月。>

日本人のノーベル賞受賞の季節ですが、いつものように出身地を調査してみました。毎回、西日本人の受章者が多いですね。

元々、参考にしたのは以下のリストですが、執筆時の今朝、大阪出身のかたが受賞しましたので、1を西日本に足しました(2019年10月)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85

どちらかというと西よりのように思います。

厳密に近畿地方からを西日本とすると(台湾や満州も西として計算)、
17人(西) VS 9(東)
です。

名古屋を西日本とすると、
20 VS 6
になります、、が、ただ、そうしてしまうと、西日本がえらく大きくなります。

名古屋が西なら富山も西とせざえるとえませんから、

21 VS 5
となります(が、それだと西日本が広くなりすぎてしまいますね)。

人口の3割が住む関東地方ですが、ピュア関東地方出身(関東生まれ、関東育ち)は梶田さんだけでした。山梨の大村さんですが、山梨は東京の隣ですので、関東付近だと二人です。

静岡県の天野さんを入れると関東付近は3人となります。

北海道も1人おられます。北海道は、英語によるコミュニケーションが達者な人が多い印象です。

田舎者も多いような印象です(これは厳密にチェックしていません)。

理論ですが、西日本人は方言的に発声が緩い==>英語がマスターしやすい==>英語ができるから海外の研究者と交流しやすい==>研究活動に国際コラボはプラス。

<移動する学者は引用される数が多い

http://www.nature.com/news/scientists-have-most-impact-when-they-re-free-to-move-1.22730>

田舎者が多いように思います。科学というと都会っぽい、エリートっぽい感じですので意外ですね。

村上春樹氏もノーベル賞候補として挙がっているそうですが、そうなると兵庫県にさらに1票となります。

<2017年10月にKAZUO ISHIGURO氏のNobel文学賞受賞が決定しました。氏はイギリス国籍ですが、出身はずばり西日本の長崎県です。>

吉野彰 大阪府吹田市 (追加しました)

湯川秀樹 京都府京都市
朝永振一郎 東京・京都 (父は長崎出身)
江崎玲於奈 大阪府中河内郡高井田村
小柴昌俊 愛知県/東京
小林誠 愛知県名古屋市
益川敏英 愛知県名古屋市
赤崎勇 鹿児島県川辺郡知覧村
天野浩 静岡県浜松市
梶田隆章 埼玉県東松山市
福井謙一 京都府京都市
白川英樹 東京・台湾・岐阜県高山・満州
野依良治 兵庫県
田中耕一 富山県富山市
下村脩 京都・長崎
根岸英一 満州・朝鮮
鈴木章 北海道
利根川進 愛知県名古屋市・富山・愛媛(利根川家先祖は広島)
山中伸弥 大阪府枚岡市・奈良県奈良市
大村智 山梨県北巨摩郡神山村
川端康成 大阪府大阪市
大江健三郎 愛媛県喜多郡内子町
佐藤栄作 山口県熊毛郡田布施町
南部陽一郎 東京・福井
中村修二 愛媛県西宇和郡
大隅良典 福岡県福岡市

西日本人はなぜ語学が上手かの理論はこちらをクリック。

英語喉仮説 西日本人が英語が得意説のまとめ

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英語喉仮説であるところの、「西日本人は英語が得意」説をまとめてみます。 ただ、英語喉をご存知ないかたで、「英語が下手糞なのに理屈ばかり並べおって、、」と思われたら困るので、まずは、自分の英語を晒します。 <失礼、この音声ファイル行方不明です> http://www.nippondream.com/file/kiso_eigo_04_27_2016.MP3 直接リンクならこちら。 <失礼、この音声ファイル行方不明です> それでは始めますね。 TWITTERで寺沢さんという社会言語学者のかたが、「(本当に)日本人は英語が苦手か?」などを、データ検証されているということを知り(本はここ)、それがきっかけで、以下をまとめました。 仮説1 西日本人は英語が上手になりやすい。 仮説2 東日本の人もまずは西日本方言の発声法を真似れば、英語が上達しやすくなる(あるいは東日本で英語が上手な人は、声が西日本人的)。 理由 a)西日本人は元々の方言が、英語(や諸外国語)に似て、発声位置が深い場所であるために、英語の音を聞きやすい。西日本方言は、まるで動物がほえているような感じで発声するが(例 NHK朝ドラ マッサンの広島弁)、これは英語に似ている。一方で、標準語・および東日本語は口先で硬い音を出している感じ(まさに日本語英語のような感じ)。さらに西日本人は動物がほえるように発声していることで、声が線的につながっている(これは英語話者と同じ)。注:東北弁も声がつながっているように思えますが、、。 b)シラブル構造も似ている。東日本語話者のシラブルはシラブル内での音程が平ら(ただし、シラブルごとの音程は違う、、例 「わさび」だと、「わ」の内部は音程は平坦だけど、平仮名ごとに音程が違う、、、ちなみに、広島人は国語の時間とか校内放送には、そのような読み方で朗読をする、、、そういうのが標準語だと信じているため)。 一方で、西日本方言のシラブルにおいては、英語や中国語と同じで、シラブル内に音程の変化がある。広島人が「じゃけん」と言った時の「じゃ」には、独特の音程の変化がある。さらに、西日本方言のシラブルは、中国語に似ていて、英語にもそう遠くない(広島弁の例 じゃ けん のお~)。 聞き取りをキャッチボールにたとえると、西日本人は、シラブルの内部が変化球っぽい英語ボールでも、普段つかっている方言と同じなので、シラブルのリズムつかみやすい。東日本人は、シラブルの内部で音程が変化するなどと、思ってみたこともないし、逆に、シラブルの真上にアクセントがあり、強く読んだり弱く読んだりすれば、英語が聞こえるに違いないという思い込みがあるので、そのシラブルごとの強弱、シラブルごとの音程の上下にとらわれて、英語ボールをキャッチしにくい。 これら二つの理由で、西日本人にっては、英語が聞きやすく、また発音もしやすいため、英語を比較的楽にマスターすることができる。東日本語話者も、発声法を西日本人的にすれば(とりあえず、マッサン)、英語が聞こえやすく発音しやすい。 西日本人なら全員英語ができる、、ということはありませんが、英語でコミュニケーションができる人を思い浮かべるとだいたい西日本人、、か、あるいは地方出身者。 その他、西日本の方言が英語に似ている点 c)息使い。英語は、肺から息が減るにつれて、だんだんと(株価がおちるように)、音程が落ちてくる。西日本の言語も同じ。一方で、東日本弁、特に標準語では、肺に残った息の量とは関係なく音程が激しく上下する(注 東日本全体でこれが言えるかは未確認)。勝間さんの日本語など良い例かも(音程がかなり上下します)。 西日本人にとって、英語ネイティブが喋っているときに、その息の使い方、音程の落ち方が方言と同じなので、どこで話が終わるかが分かりやすく、話しだしやすい(会話に加わりやすい)。 <電話番号を西日本人が言うと、音程がだんだんと落ちてくる。標準語の感覚では、「やる気がない」ようなオーラを発する。> d)喉の深い位置から発声していること、息も比較的多く使うことから、西日本人は声が大きい、、、という点でも英語ネイティブに似ている。声が大きいので、外人にシャイだと決め付けられにくく、国際コミュニケーションがとりやすい。 さて、微妙な問題としては、東北弁は、結構、英語的に、音がつながっているように感じること。近畿地方は、少しだけ、標準語に似ていて、音程が小刻みに上下するように思われる。また、発声法も硬い人もいる、、、が基本的には、西日本の方言に属すと考える(喉が開いている感じの人が多いため)。北海道も声に英語に似た透明感がある印象(笑う時の声で話しているイメージ)。 さて、では西日本人が全員英語が得意なのかというと、そうではないでしょうが、それは、英語教育の方法が都会で発達したために、どちらかというと東京型の認識が公教育にとりいれられており、例えば、英語の音の強弱が大切だという「言説」に基づいて、西日本人も、アクセントの位置を覚えている。実際は、方言の要領で聞いたとおり言えば済むことなのに。実際、西日本人でも英語の先生となると、甲高く、日本語っぽい英語を話してしまう人も多い。…

どこかで勘違いが起こったのではなかろうか

http://en.wikipedia.org/wiki/Vowel 音声学、、といっても色々あると思うが、いわゆる大学の英文科で学ぶ音声学、それもIPAとかダニエルジョーンズとかが出てくるものだ。   問題点は「舌の位置」と「響かす地点」と混同?である。   母音ごとに舌の位置が違う、、、ということを図示しているわけだが、それはあくまでの舌の位置であって、それと「音を響かせる場所」とは違うだろう。   例えば舌の位置が「前より」だとすると、それは単に位置が前よりだ、、、ということであり、それ以上でもそれ以下でもない。   ところが、思うに、なぜかこの舌の位置が「音を響かせる位置」という概念と混同されているように思う。   舌が前よりだから、口の中でも前のほうで音を響かすんだ、、、というのはおそらくなんらかの勘違いだと思う。   そもそも舌の位置と母音の関係ということは、喉のパラダイムでは「考えなくてもよい」わけだが、それを言ってしまうと、めんどうだ。だから、もっとフォーカスを絞ってみる。   舌の位置は「響かす地点」ということではない。   例えば、上のURLでは舌の位置のX線写真が紹介されているが、だからといって、口の中のどこで音が響くということがX線でわかるわけではない。   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E8%88%8C%E6%AF%8D%E9%9F%B3 これは日本語で書かれた説明だが、上で指摘した勘違い(と私が思うもの)が分かる記述である。引用してみると、、、 前舌母音(まえじたぼいん、ぜんぜつぼいん)とは、舌の最も高く盛り上がった位置が最も前で調音される母音。   舌のもっとも盛り上がった位置で調音される、、、とある。が、実際は、前舌という概念は単に舌が前にくる、、、ということを記述しているだけであり、そこで音が調音されている、、、と言っているわけではないと思う(調音が何を示すか、、、というところが微妙だが)。  …

ミシェル フーコーから学んだこと

大学時代にミシェルフーコーに出会ったのだが、彼の歴史観、いや分析法?は非常に面白い。クリニックの誕生という本を読み直しているのだが、ある病気を治すのに、昔のある時点では風呂に何回もつけるというような治療法をしていたらしい。ところが現代では、全然違う治療法が発達していて、医者がいかに病状を見るかという根本的なパラダイムを比較している。そのパラダイムを何が支えているのかとか、どのようなことがらが、見えることととして処理されるかということが書かれている。 1963Naissance de la clinique 『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳、みすず書房、1969年、ISBN 4622022176 ニーチェの系譜をつぐ人だということが分かったので、ニーチェなども読んだが、「善悪の系譜」とか、読んでみた。 ヨーロッパの大学ではニーチェは基本文献だと聞いた(本当かどうか知らんが)。え、ニーチェ読まないの?みたいなことを言われたことがある。同志社に来ていた留学生に。アメリカでは当時、フーコーの監獄の歴史というのは、歴史の授業とかでは当たり前のように読んでいたんじゃないかと思う。私が学部の授業をとったときにも、ASSIGNされていたし、また教科書コーナーには常連のように置いてあった。残念ながら、フーコーの書き方は読みにくい。 さて、 2007年は英語喉出版の年であった。2009年はキカンジュウエイゴの出版だ。厳密には喉パラダイムは2005年あたりに誕生していて、それを意識的に実践していたのは、私と、2006年あたりに実験台になっていただいた、苅谷先生だけだった(ちなみに、無意識に実践されていたのは、RON氏、長崎の雨氏、天満さん、、、それから帰国子女と小林克也氏ぐらいだろうか?最近音声をUPしていただいたTOSHIさんもされていたのかな?) この喉パラダイムの以前と以後で発音や、聞き取り教育のパラダイム、そして根本の部分が全然変わってきている、、、が、、、まだまだパラダイムの変わり目にあるために、多くの人が知らないだろう。 以下のURLは、英語喉のライバルであるXXXに共感されている先生のサイトである。英語喉と相対するパラダイムであり、一つ一つの指導法が全く逆である。英語喉は喉をリラックスさせないと英語音が出せないというやりかただが、XXXやこのサイトの先生のやりかたは、音をするどくすると英語がうまくなる、いわゆる曖昧音を曖昧に読むと、うまくなるというパラダイムだ。 XXX(引用するのをやめた) 音をするどくすれば英語になる、、、という考え方であるが、例えばSをするどく発音しなければならないという。これはXXXのXXさんが一貫して指導されていることだ。 これは喧嘩を売っているのではありません。その実際に、するどいS音を使いながら、またあいまい音をあいまいに実際に読んでいるところ(学習者じゃなくて)を聞かせていただけないだろうか?従来のパラダイムでは、不思議と教える側の英語が出てこないのである。 新しい喉メソッドでは、自分の英語をUPして発表することが、もはや恥ずかしいことではなくなっている。喉でやると恥ずかしくない。 逆に、従来のやりかたは(Sを強く言うとか、強く読んだり弱く読んだりするとか、わざと曖昧に弱めに読む母音が存在するとか、、、)、ミシェルフーコーが描いた昔の治療方のなかで、例えば、風呂につけて病気を治すとか、、、そういうことに似ていると思う。 するどくするとか、はっきりする(そしてその逆として曖昧に発音する)、、、というのは、日本の歴史のなかで、富国強兵の制度を確立しようとするなか、出てきた、、、いや、それまでも似たようなことはあったかもしれないが、教育実践ではないだろうか。 そういうことをしたところで、英語がうまくなるわけではないのだが、それを見つめる指導者=指導される側という権力制度を保つという観点から、適した言説であると思う。 我々はこのようながんじがらめの言説から、どのように脱却し、真の自由を勝ち取ることができるだろうか。 フーコーについてはここ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC

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