大学時代にミシェルフーコーに出会ったのだが、彼の歴史観、いや分析法?は非常に面白い。クリニックの誕生という本を読み直しているのだが、ある病気を治すのに、昔のある時点では風呂に何回もつけるというような治療法をしていたらしい。ところが現代では、全然違う治療法が発達していて、医者がいかに病状を見るかという根本的なパラダイムを比較している。そのパラダイムを何が支えているのかとか、どのようなことがらが、見えることととして処理されるかということが書かれている。

1963Naissance de la clinique

ニーチェの系譜をつぐ人だということが分かったので、ニーチェなども読んだが、「善悪の系譜」とか、読んでみた。 ヨーロッパの大学ではニーチェは基本文献だと聞いた(本当かどうか知らんが)。え、ニーチェ読まないの?みたいなことを言われたことがある。同志社に来ていた留学生に。アメリカでは当時、フーコーの監獄の歴史というのは、歴史の授業とかでは当たり前のように読んでいたんじゃないかと思う。私が学部の授業をとったときにも、ASSIGNされていたし、また教科書コーナーには常連のように置いてあった。残念ながら、フーコーの書き方は読みにくい。

さて、

2007年は英語喉出版の年であった。2009年はキカンジュウエイゴの出版だ。厳密には喉パラダイムは2005年あたりに誕生していて、それを意識的に実践していたのは、私と、2006年あたりに実験台になっていただいた、苅谷先生だけだった(ちなみに、無意識に実践されていたのは、RON氏、長崎の雨氏、天満さん、、、それから帰国子女と小林克也氏ぐらいだろうか?最近音声をUPしていただいたTOSHIさんもされていたのかな?)

この喉パラダイムの以前と以後で発音や、聞き取り教育のパラダイム、そして根本の部分が全然変わってきている、、、が、、、まだまだパラダイムの変わり目にあるために、多くの人が知らないだろう。

以下のURLは、英語喉のライバルであるXXXに共感されている先生のサイトである。英語喉と相対するパラダイムであり、一つ一つの指導法が全く逆である。英語喉は喉をリラックスさせないと英語音が出せないというやりかただが、XXXやこのサイトの先生のやりかたは、音をするどくすると英語がうまくなる、いわゆる曖昧音を曖昧に読むと、うまくなるというパラダイムだ。

XXX(引用するのをやめた)

音をするどくすれば英語になる、、、という考え方であるが、例えばSをするどく発音しなければならないという。これはXXXのXXさんが一貫して指導されていることだ。

これは喧嘩を売っているのではありません。その実際に、するどいS音を使いながら、またあいまい音をあいまいに実際に読んでいるところ(学習者じゃなくて)を聞かせていただけないだろうか?従来のパラダイムでは、不思議と教える側の英語が出てこないのである。

新しい喉メソッドでは、自分の英語をUPして発表することが、もはや恥ずかしいことではなくなっている。喉でやると恥ずかしくない。

逆に、従来のやりかたは(Sを強く言うとか、強く読んだり弱く読んだりするとか、わざと曖昧に弱めに読む母音が存在するとか、、、)、ミシェルフーコーが描いた昔の治療方のなかで、例えば、風呂につけて病気を治すとか、、、そういうことに似ていると思う。

するどくするとか、はっきりする(そしてその逆として曖昧に発音する)、、、というのは、日本の歴史のなかで、富国強兵の制度を確立しようとするなか、出てきた、、、いや、それまでも似たようなことはあったかもしれないが、教育実践ではないだろうか。

そういうことをしたところで、英語がうまくなるわけではないのだが、それを見つめる指導者=指導される側という権力制度を保つという観点から、適した言説であると思う。

我々はこのようながんじがらめの言説から、どのように脱却し、真の自由を勝ち取ることができるだろうか。

フーコーについてはここ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC

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