英会話の練習は、内容にこだわらず

英会話は、内容のある話をするとか、興味のある分野でというのが主流ですが、逆に、全く、考えずに、だらだらと話すことで、考えなくても英語になるような練習をすることができます。特に、普通は、論理を鍛えるとか、そういう方向に関心が向くものです。が、思うに英語ネイティブは、普段はあんまり考えずに話していると思う。あんまり考えずに話せるという前提があって、考えて話せるようになる。その土台を作るためには、だらだらと考えずに話す練習もいいものです。

頭を無にして話していると、まるで三輪車にしか乗れなかった子供が自転車に乗れるようになる瞬間のように、文法などにこだわらなくても話せるような瞬間がやってくることでしょう。ところが、内容にこだわりすぎると、文法を無意識に話せる練習になりにくいのです。

とにかく、頭を無にして、話してみましょう。以下では、私は頭を無にして話しています。するとイメージがそのまま英語になるような感覚が味わえる瞬間がきます。

よくペラペラ喋れるけど内容がない人がいるという批判がありますが、私は逆だと思います。ぺらぺらと自然に、頭が空っぽでもしゃべれなければ、内容のある話も困難でしょう。

実は、内容のないように思える、力を抜いたような会話こそが、心を伝えてくれたり、人柄を伝えてくれるので、ネイティブの友人などとつながりやすく、結果、内容のある話もできるようになります。心がつながらないと(つまり、信頼関係が気づけないと)、そもそも、込み入った話、歴史の話など、できません。物事には順番があるのです。

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ちょっとだけ難しいほうを選ぶという流儀

今日のトピックの一部を読みながら、即興英語で言ってみました。 http://www.nippondream.com/file/kaz_08_03_2011.mp3 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_08_03_2011.mp3|titles=kaz_08_03_2011] 実は、数ヶ月前から書いて見たいトピックがあった。それは「ちょっとだけ難しいほうを選ぶ」ということについて。 その前に、新しいコーナー、「アメリカで見た漢字の刺青(いれずみ)を報告する」です。米国コンサルタント会社勤務の日本人サラリーマンのuさんが、昨日、通勤のため電車に乗ったところ、目の前の黒人青年の左腕に以下の刺青をしているところを発見しました。 「恐い」 なぬ~~??「恐い」と書いてあるのです。おもわず、じ~~~と見てしまいました。 アメリカ人が漢字で刺青を入れているのは普通ですが、普通は、漢字だけです。例は新活とか、わけのわからない組み合わせですが、uさんは、普段だと「日本語だと意味を成さないけど、たぶん中国語であるのかも」と納得するのですが、今回は 「恐い」 と、どう考えても日本語の「い」が書いてあります。 「すみません、その(恐い)という言葉の意味をあなたはご存知なのですか?もしかして、あなた、俺は恐ろしいぞ~という意味でそれ彫りました?じゃなくて、恐いは、scaredと言う意味ですよ。あなた、もし日本に行ったら、周りに大笑いされますよ。それでもいいのですか?あなたは、恥をさらすことになるんですよ」 とuさんは、心のなかで言う練習をしましたが、その青年がちょっとだけ恐い感じがしたので、実際には言いませんでした。 uさんが、よく見る漢字の刺青に「力」があります。しかし、uさんには、まず、それはカタカナの「カ」に見えてしまうのです。「ちから」じゃなくて。でも、この場合は、中国語とすれば、「力」以外の何者でもないですから、納得が来ます。 以上、「アメリカで見た漢字の刺青(いれずみ)を報告する」コーナーでした。 さて、ちょっとだけ難しいほうを選ぶという流儀ですが、何かをするときに、二つ選択があるとすると、ちょっとだけ難しいほうを選ぶとうまくいくのではないかということです。 私は、これを実践しているのです。というのは、人生を振り返ったときに、楽なほうばかり選んだのではないかなという思いがあります。ただし、楽なほうは、世間的には、大変だと思われていることが多い。 例えばですが、「暗記」というのは、世間的には、楽じゃないと思われている。でも、実際は楽です。考えなくてもいいから。逆に難しいことというのは、例えば、英語だと、ネイティブと喋りながら頭のなかで文法や語彙を自分のものにしていくことです。 これは、ちょっとだけ難しいでしょう。勇気がいりますし、本当に使える表現を自分で選ぶ必要があります。 中学校のときに、級友にたたかれていたことがあります。小学校のときから、いきなりたたいてきたりする人がいたので、その延長でした。 しかし、それは、小学校のときからよく知っている級友です。中学校で、他の地域の知らない生徒がたくさん集まったわけですけど、やはり叩いてくる奴がいるのですが、その場合は、「なんでお前にやられる筋合いがあるのか?」と思いますから、まず叩いてきた段階で徹底的に反抗が起こります。 いじめっ子達は、たたいたときに、反抗するかをチェックしているのです。 大学の1年生のとき、知り合ったばかりの級友が、会うたびに「巨人の桑田に似ている」と言ってくるのです。からかう感じで。そのときは、彼の胸倉をつかんで、ぶち切れてしまいましたが、それで、彼はそれを言うのをやめました。お前のことあまり知らないのに、なんで、そんなに大きく出てるの?という疑問だったのです。結構、楽でした。全然、勇気がいらなかった。一発でカラカイが止まりました。全然勇気がいらなかった。しかし、これが正しい行動だったのかな~~。疑問が残ります。 小学校のときからたたかれている場合ですが、これは反抗しないほうが、楽だったのです。その人には、家などの位置も知られているから、まちぶせなどされたら終わりです。だから、その場をしのぐために、がまんする。 がまんするというのは世間的には難しいと思われているけど、実は楽なのです。短期的にはね。 しかし、知らない奴がたたいてくると、これはその場で反抗するほうが、楽です。ほっておくと、大変なことになるでしょう。…

アメリカのサービスが悪い(?)という件

よくアメリカのサービスは悪いとため息をもらしておられる人が多いのだが、自分は違った意見を持っているので、まとめて書いてみたい。 理論的には、そもそも、資本主義の国のご本尊的存在の米国でサービスが悪いということが考えられるだろうか? これは、働いても、給料に反映しない理論的には共産主義の北朝鮮だとか、役所だとかなら、がんばってもしかたがないので、サービスが悪いかもしれない。 でも、特に、チップ制度の発達したアメリカでサービスが悪いということは理論的には考えられない。 私はアメリカに20年になるのだけど、確かに以前は同じように感じていた。が、英語喉を10年ほどにやりだしてから、分かったこと。 アメリカ人が態度が悪く見える理由、 その1.日本人はサービス精神を表情で表すのに対し、アメリカ人は普通ぼけっとした顔をしている点。アメリカのレストランなどでは特に細かい注文が多いので、真剣にオーダーを聞いていることもある。特に男はドライジョークが多くて、ぼけっとした顔で対応する人が多い。でも、そういう顔なのだ。 その2.日本人(というか、標準語話者)は、英語の音色で伝わってくる感情が聞こえていない?英語は特に、シラブル内の音程の起伏で感情を伝えるのだけど、標準語は、シラブル内の音程が平らなので、そのあたりを無視して聞いてしまい、相手のフレンドリーで親切な感情を聞き取れない。 その3.日本人というか標準語話者の英語は、シラブル内の音程が平らで、そのまま英語を話すと、まるで命令しているように相手には聞こえる。 以前、モントリオールにいったときに、たまたま、となりに日本人の観光客が座った。自分たちには、同じウェートレスさんがフレンドリーなのに、その人たちのところでは、同じウェートレスさんなのに、緊張気味で、オーダーをとっていた。 その4.そもそも、日本人はウェートレスさんを、食事運びマシーンとしてしか捕らえないので、いかに、ウェートレスさんが、色んな質問に答えて、食べ物の推薦や組み合わせを教えてくれるかを考えていないので、せっかくあるサービスの10%ぐらいしか使っていない。 その5.英語ネイティブというか、いわゆる外人の声は英語喉・喉発音。女性でも男性より低い声の人はたくさんいる。外人の声は日本で言えば、人を脅かすときの声。だから、それを日本人が聞くと、横柄だとか、まじめじゃないとかいう風に勘違いしてしまう。 その6.英語は命令文でも命令じゃないことが多い。音色で丁寧にする(が、日本人は音色を聞いていないことがある)。飛行機の中で、コーヒーいかがですか?を英語ではCOFFEE?だけで聞いてくるけど、あれは失礼ではない。日本語で、「コーヒー」だけだと、えらく不親切に聞こえる。 その7.これはレストランだけに限らないが、英語ネイティブは「うなづき「や「相槌」が少なく、また、意味なく、相手の言ったことをまとめたりしないので、日本人的には、「こらあ~、おまえ聞いているのか?」という感覚におそわれてしまう。 上は、レストランを例にとったけれど、その他、例えば、ケーブルTVに質問の電話をしたりしても同じ。そもそも、「この会話はサービスのために録音しています」という状態なので、対応する電話の人が不親切であることは、非常にまれ。 ところが、日本人の英語は命令調に聞こえてしまうので、相手も非常に緊張することになるのでした。 というわけで、英語喉をしている自分自身は、アメリカで悪い対応を受けることがない。 悪いサービスをしていると首になるから。 絶対ないということはありえないけど、普通に生活していると、あんまりない。 英語喉を始める前は実は自分もけんか腰になることがあった。 しかし、考えてみるとサービス業にいる人たちは、いかに相手をだましてやろう、おとしめてやろうと思っているわけではない。そんなことをしても、彼らの懐は全然暖かくならない。彼ら自体、雇われの身だ。 録音してみようかな。いかに、アメリカのサービスの人たちが腰が低いかと言うのを示すのに。 「他に何か、今日できることは、ございますか?」とか激しく腰が低い表現が多い。 自分は、戦後、こんなに仲のいい米国と日本語が戦争をしたのは、色々と勘違いがあったからじゃないかと思う。石油を止められたから戦争を始めたというのは、納得がいかない。

FBより転載 一番見て欲しい動画はこれ

私のFBフレンドには、英語教育関係のかたや、海外に住まれた経験があるかたが多いので、以下を書きました。 しばらく、欝な描写が続きますが、必ずやハッピーエンディングがあることを約束しますので、緊張しないで読んでくださいね。長文プラス、さらに動画をみてください、、ということですので、負荷がかかりますことをお許しください。 今まで自分が作成したYOUTUBE動画の中で一番人に見てもらいたい私の体験談があります。この文の最後にURLを載せましたので、ぜひご覧ください。 私は20年アメリカにおりますが、最初の10年は、そもそも、アメリカ人に話しかけられなかったし、レセプションや会議で同じテーブルに座っても、顔さえ見てもらえませんでした(ちょこっと話しても、すぐに、飲み物を~と消えてしまいます)。10年前に全てが変わり、今は、普通にアメリカ人と働いており、平等な立場で話しています。皆さんの中で英語がまずまずできる方でも、西洋人との議論になると、疎外感を感じるかたがおられるのではないでしょうか? どんなに英語の語彙を増やしても、文法を勉強しても、歴史の勉強をしても、この点を、この点をクリアしないと、日本人のグローバル化は無理だと考えます。 なぜ、アメリカ人が会議などで、私のほうを全然みないのか、話をしてくれないのか。最初のころは、自分のことを知らないからだろうと思いました。ところが、10年ほど前にサンフランシスコの米国社会学会で100人以上の聴衆を前にプレゼンをした後でのレセプション、、無残にも、誰も話してくれず、隣の席に座ってくれたのは、英語ができない中国人のかたと、韓国のかたでした。 就職の面接でサンフランシスコに飛びました。そこでハッピーアワーに連れて行ってもらいました。どう考えても、自分が主役なはずです。ところが、アメリカ人が話し出すと、私のほうは、全然みてくれないし、話しだすタイミングがつかめず、またしても、「静かな日本人」に徹してしまい、、。もしかして人種差別?などと思ったこともありました。 私は英語ができたほうなので、米国のコンサルタント会社で就職しました。そして、10人ぐらいの同僚たちとランチに行ったときのことです。私の左と右で、すぱっと話をするグループが二つできて、私のほうは誰も見ていません。その時思ったのは、「もし今自分がいなくなっても、誰も気がつかないだろうか」ということでした。 そのころ、会社で廊下を通過中のあるアメリカ人のかたが、声をかけてくれたことがあります。その方は、日本に行ったことのある人で、私が飾っていた浮世絵に興味を持ってくれたのです。その時が、道を聞かれる以外でアメリカ人に話かけられた初めての経験でした(すでにその段階でアメリカには10年ぐらい住んでいた)。 ちなみに、日本にいるとき(大学生の時など)は、留学生の友達がたくさんおりました。ですから、アメリカでのこの経験は全く理解できませんでした。 さて、10年ほど前にあることを知り、それ以来、アメリカ人が急にフレンドリーになり、社交に全然困らなくなりました。バースデーのパーティーに呼ばれたり、仕事のあとのハッピーアワーにも普通に招待されます。会議でも、人が良く話を聞いてくれます。会社のキッチンでも、普通に話しかけてきます。 私がこのことを日本の人に知ってもらいたい理由があります。それは、おそらく多くの人が英語の語彙を増やせば、文法を学べば、積極性をつければ、コミュニケーションがうまくいくと思われていることだと思います。しかし、それらのことをするよりも、簡単なことがあるということを知っていただきたいと思うのです。 海外で英語を試されたかたは、英語が通じる、通じない以前に、アメリカ人や他の外国人が、そもそも、こちらを見ていないということに気づいたかたがおられるのではないかと思い、この場で紹介してたいと思いました。 もちろん、日本に住んでいる外国人は、日本人をそのようには扱わないと思います。ですが、外国人が複数で、日本人が一人だけの場合の議論とかは、突然、外国人が日本人を無視し始める現象は経験されたことがあるのではないでしょうか? 以下、自分の体験談を述べているところです。

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