フェースブックで読んだのだけど、茂木健一郎さんが、日本語のメルマガやめて、今後は英語で発信すること、本を書くことをやりたいとおっしゃっていた。

引用させていただきますと、

「僕はこの10数年、英語の本を書くべきだと言ってきました。リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)が書く世界中がこれまでの常識をひっくり返
されるような本を、日本人も書くことを目指すべきだとずっと言ってきました。明治以降、せっかく世界の中で大きな存在感を占めるようになったというのに、
僕自身が書けないとしても、なぜ日本からそういう人が出てこないのか。それが、僕にとっては一つの大きな謎だったんです。村上春樹さんなど、小説の世界では
世界的な影響を与える人はいます。また、マンガやアニメあるいは小津安二郎の映画なども、ビジュアルな表現があるからか、世界に広がっているものはありま
す。でも、思想や哲学を含めたいわゆる「人々の持つ世界観」について、日本人は世界に影響を与えていない。」
(茂木さんのフェースブック、3月19日)

今後の茂木さんの英語による活動が楽しみですね。

さて、また、私が思ったのは、そもそも、日本の外、特にアメリカでは、思想の大家で、大きな知識人というのがいないんじゃないかということ。

昔は、チョムスキーとかいたのかもしれないし、フランスではフーコーとかいたのかもしれませんが、最近、いません。一方日本では、大学教授の先生とかが、社会全体のコメンタリーをするような場所がたくさんあると思う。

この記事で茂木さんが引用しているピンカード(ハーバード)でさえ、普通のアメリカ人は知らない。チョムスキーはかろうじて、年配の人は覚えているかもしれない。

大きな知識人の代わりに何があるかといいますと、専門分野のなかで研究している人たち。テレビとかには出てこない。

その原因は、アメリカの大学の先生たちは、就職したらまず研究をして、論文をがんがん出さないとテニュアがもらえない(終身雇用のステータス)。だから5年ぐらいは、必死で研究をしないといけない。そんなときに、大きな構えで、社会がどうのこうのというような本を書かない。

PHDをとってポスドクなどをすることが多くなってきていて、それも含めると、安定した位置にくるまでかなり時間がかかる。私がPHDをとったのは2000年だが、同期あたりの人がTENUREレベルに来たのは、最近のことのように思う(この5年ぐらい、、、よくがんばった!!と言いたい。)。

テニュアをもらっても、常にグラントなどを取り付けてきて研究費を稼ぐ。そのためには研究につぐ研究。社会に意義ある研究でないと、NSFなどから金がおりない。また大学教授の給料は安いので、そういう副収入がいる。

教科書でさせ書かない。本は学者としての、ステータスに関係しないから。大切なのは査読つきの学術雑誌で論文が発表されること。

一方日本では、大学職について正社員となると、研究していなくてもよいので、ゆったりと大きなテーマについて本を書いたりテレビに出たり、教科書を書いたり。

言語学の世界では、査読つきの学術誌への研究論文ゼロなのに、英語教育に関して大きなテーマで語ったりする人が多い。さらに英語教育の論文もゼロに。研究したらいいのに。

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