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日本とアメリカの「宿題」の違いと「担任制度」の影響

今、ジーナがイタリア語のクラスを民間の学校で週1でとっているので、宿題をたまにやっている。さらに自分自身も、ジーナと一緒に去年は近所の高校のアダルトスクール(夜を利用して市民に開講されている)でフランス語と、スペイン語とイタリア語を受講した。 一つ違う点は、日本では日本人が英語を教えるが、私がとった全てのクラスでは、それぞれの言語のネイティブが授業をしていた。 さて、ふと気づくと、宿題の質が違う。日本とアメリカで。 いや、量としても、日本では宿題がない。中学、高校と宿題があった記憶がない。 英語の授業では、予習ということがあったような気もする。その日の授業でカバーする英文を和訳しておくとか。 アメリカでは宿題は「復習」だ。先生がカバーしたところを、生徒が自分のものになるように、復習的に勉強するようになっているのが、宿題だ。 アメリカでは、「宿題」を、授業中にすることもある。先生が早めに授業が終わったら、生徒に宿題をさせる。 思うに、確かにHOME WORKだけど、家でやるか、教室でやるかが、ポイントではなく、先生が教えたことをカバーするというのがポイントなのだ。 その日に勉強したことを、自分の一部にするのが宿題。 日本の中学、高校の勉強方法は、不自然に感じる。 英語はだいたいその日にやる授業の英文の訳をやってくるという「宿題」が多い。 それは、30人、40人の生徒を前に、生徒を静かにさせてコントロールして(悪い意味じゃない)、授業を「成立」するための、装置では? 復習スタイルの宿題(アメリカ的な宿題)をさせていたら、それをチェックしないといけなくなり、教師の仕事が増える。 教師の仕事を増やさない形で、宿題を出すとすると、予習スタイルの復習しかない。 さて、このことは、クラス人数が多いのが元はといえば原因。しかし、国際機関のデータによると、日本の教師一人あたりの生徒数は必ずしも多くないらしい。 http://nces.ed.gov/pubs/eiip/eiipid39.asp ここのテーブル39にまとめてある。 日本は教師一人あたり平均16.3人の生徒数。アメリカは16.7で日本より多い!!!! しかし、日本で16人の授業なんてある??? 逆に、アメリカの場合、この数字と、実際のクラスにいる人数がそんなに違わないような印象だ。 単純に生徒数を教師で割ったときの数字だけど、実際のクラス人数との乖離が興味深い。 では、なぜ、実際、クラスに大人数がいるのだろうか? これは私の経験からの推測だけど、高校教師をしていると、「担任の先生は大変」という感覚がある。 毎年、今年は担任する先生と担任をしない先生がいて、担任をしない年は、楽という感覚がある。 高校1年生で担任になると、そのまま学年とともにスライドする場合、3年間は忙しい日々が続くことになる。 大変なことは、順番に交代しながらというのが、人の情けだ。…

わが国の教育にはメソッドがないのか?研究はある?

仕事で、「読み」を教える教育の評価研究論文(アメリカのもの)を、かなり読んでいる。80年代ぐらいからの論文をたくさん読むのだが、その研究の多様さ、量の多さに驚かされる。例えばだが、文の箇所を括弧にしておいて、その中に何が入るかを想像させるという教え方があれば(CLOZEと呼ぶ)、それが実際に生徒の読む力につながるのか?という研究論文がある。実験をつかって実証し、効果がなければなし、あればありと結論づけるのだ。私は統計とか実験を専門としているので、メソッドに問題がないかとかをチェックして、その研究に信憑性があるかを評価している[具体的にはこれをやっている http://ies.ed.gov/ncee/wwc/)。 日本にも、そういうのはあるのかな?いや、ないような気がする。国語の時間に何かメソッドを使ったというような記憶がない。そもそも、国語の時間に何をしたか?という記憶がない。 なぜにないのか?教科書があって、国全体で統一してやっていると、どうやって教えるかというメソッドが育ちにくいのだろうか? 論文(アメリカのもの)をたくさん読んでいると発達心理学の理論を応用したような教え方を実際に試し、その効果を統計的に数値化している。そんな論文が山のようにある。あ、そういえば、そういう実験を実際にやったこともあった。これは、教師が受ける研修が、生徒の学力に影響を与えるかという実験だ。 http://www.mdrc.org/publications/499/overview.html さて、こういうことを思い出したのは、先日、英語教育学の先生達が小学校での英語教育導入を批判して、「早めに教えれば効果があるという証拠がない」と書いていたからだ。実際、そういう研究の蓄積があるのだろうか? 「小学校での英語教科に反対する要望書」http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/eigo/kosaka.pdf 文科省としては、そういう発言にびっくりしているのではないか?だって、言語を学ぶ上で臨界期、つまりこの年齢以上となると習得が難しいと言っていたのは、応用言語学者であるからだ。急に、証拠がないと言われて、えーー?とびっくりしているのではないだろうか? そういう意味でも、英語教育学者は、年齢と言語習得に関する研究の知見(国内のもの)を大いに、我々に伝えるべきであろう。例えば、小学校の学年別に同じ英語の授業をする。そして結果を見る。そうすれば、年齢、学年と語学の習得の関係が分かるはずである。リスニングの能力などの結果があれば面白い。あるいは、1年生レベルであれば、本人が喉で日本語をしゃべっているか(甘えたような声)、口でしゃべっているかも考察すると面白いだろう。 すでにそういう研究はあるはずなので、ぜひ紹介を願いたい。 証拠がないのか?研究がないのか?研究はあるはずだと思う。どう考えても。だって、小学校英語導入がさわがれて時間がたっているのだから、テーマとして大切なものはデータが集められ、経験研究がされているはずである。 ありゃ、もう一回読んでみたらこう書いてあった。(「小学校での英語教科に反対する要望書」より) 「日本における英語学習のような外国語環境における学習に関する括弧たる理論やデータは存在しません。」 はあ?研究してないの????  文部科学省も委託研究とかで学者に頼んでないといけないよね。国立教育研究所とかもあるし。  

教育改革の評価

私の仕事の半分ぐらいは、アメリカの教育改革のプログラムが成果があったかどうかを評価することなのです。文部科学省によると、英語が使える日本人を育成する(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm)ということで、たくさんの試みが行われています。例えば、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールです。特別の学校があるわけです。 で、これを評価する必要があるわけで、例えば、私の仕事だったら、その学校に行っている生徒と、行っていない生徒を比べると。実験は無理だけど、まあ、QUASI-EXPERIMENTALな評価ができるでしょう。真顔で比べるわけです。色々と統計的な調整をしながら、サンプルも慎重に選びながら、GTECとかを使って英語力を比較するとか。実験は無理だけどと書いたけど、実験も実はかなり行われています。 アメリカでの教育プログラムなどの評価は、教育省が行っていて、結果は、http://ies.ed.gov/ncee/wwc/で公開されています。どまじめに評価して、そして、教育者や親が、どんなメソッドで教えるといいのか、というのが分かりやすいようになっています。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/082/gijigaiyou/1301500.htmには、文部科学省の取り組みの議事録もありました。 岡田委員が以下の発言をしています。 >そういう意味で、文科省とか、大学とか、あまり教育現場との接点が少なかったですが、ただ、日本の情報を英語で発信するというこのところがかなり傷んでいると思います。これはすさまじい状態になっていまして、昔は国際会議でどうやってインド人を黙らせるかというのが司会者の役割で、もう1つは日本人をどうやってしゃべらせるかでした。これはよく言われる事なのですけれども、今は違う。どうやって日本人にしゃべらせるかどころか、どうやって日本人を見つけるか。つまり会議に日本人がいないというのです。それだけ色々な国際会議で日本人のプレゼンスが薄くなっているというかなり深刻な事態で、国としては、このような状態が続くとますます沈没していくだけではないかという危惧を持っております。 私の意見:  日本人にしゃべらせるかという点ですが、これは、何か言いたいときに、息を大きく吸い込み、スーって感じの音を出すだけで、インド人でも他の外国人でも、え?何か言おうとしていると気づいてくれます。それだけで、日本人の発言力が高まるでしょう。よく外国人は積極的で論理的だと言いますが、外国人だって、もちろん日本人が何を言うかに興味があります。 中村委員はこうおっしゃています。 >今の、日本を開国するという話もありましたけれども、本当にそれができるのかというところが結構問題かなという気がしています。あと、アメリカなどにいますと、小学校から、自己主張できない生徒はだめなんです。ですから、日本人は奥ゆかしさが美徳とも言われますが、日本人でも自己主張をいかにできるようにするかが大事なのではないかと思います。出る杭が打たれるというのは日本ですけれども、アメリカは出る杭でないと消えてしまうのです。こういう意識改革も含めて教育というテーマがあるのかという気がしております。 私の意見: 私の感じではアメリカで仕事をしていて、大切なのは、会社とか会社内のグループで質の良い仕事をすることというイメージがあります。そのさいに、出る杭とか、出ない杭という感じのメタフォーはそれほど重要な感じがしません。仕事として、専門分野がそれぞれあり、その専門分野に基づいて発言し、貢献していくと言う感じです。ですから、自己主張というものがピンとこない感じがします。アメリカは自己主張の国だと言いますが、それは私が英語喉をやっていなくて、遠くからアメリカを見ていたときに、感じたことで、英語喉をやりはじめてから、周りが、それほど自己主張しているように見えず、ただ専門分野に基づいて意見を交換し、そしてベストのものを追及しているという風なイメージを持っています。私の個人的な経験です。個人的な経験とはいえ、西洋人が自己主張が強いというのは全然違うなあと思っています。 本下委員はこうおっしゃっています。 >キーワードはコミュニケーションということで、まずは自分の言うことをはっきり言える、意見を言える、これが大切だと思います。英語はあくまでもコミュニケーションのツールでありますので、まさにそこで自分の言いたいことをしっかり伝えられるかどうか、そのベースになっている考えであるとか、ロジックであるとか、それがしっかりしないとだめなのではないかというふうに感じた次第です。例えば、中学、高校の教育の場では、「これはペンです」というのではなくて、「私はこう思います。なぜならば」というようなベースで話せる、聞ける、それに必要な語彙は何なのかとか、こういうことをやっていくのがいいのではないかというふうに思っております。 私の意見: 西洋人は論理的だというイメージが私も英語力に限界があるときは思いましたが、英語喉で普通に英語が喋れるようになって、そのイメージが消えました。日本人もアメリカ人も西洋人も、皆、論理的であるように思いますし、それが人間ではないかと思います。鍛えなければならない論理力は存在しないようなイメージを持っています。 議論が公開されていて、透明なので、面白いですね。

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