深く考えてみよう

助動詞の過去形に関して、意味が二つあるように思える現象があります。これは特に英語の上級者にとって気になる点です。結論から言うと、助動詞が助主語だと理解すると、意味が二つに感じられなくなり、すっきりします。例を挙げてみましょう。

I could swim fast.

と英語の上級者が聞いたときに、二つの解釈があるように感じられることでしょう。一つ目を見てください。

一つ目 私は速く泳げた(実際に泳げた)。

常識的にI can swimは泳げるですから、過去形は「泳げた」ですね。英語の初心者であれば、ここで納得するのですが、文法をよく知っている人は、この文章を見て、仮定法ではないかと感じます。その場合は、以下のような解釈になります。

二つ目 私は速く泳げたかも(実際は泳げたかどうかは微妙)。

仮定法だということを強調するために、言葉を足すと分かりやすいかもしれません。

I could swim fast if I were younger. 

若かったら、速く泳げたかもしれないけど。

このように英語の上級者は、I said I could swim fastという文を聞いて、過去形?仮定法?どっち?と悩んでしまい、「もやもや感」を持つのです。

しかし、canやcouldは助主語と考えると、このモヤモヤ感が消えて、すっきりします。I could swim fastの一つ目の単純な解釈において、couldはIを補足しているのだと考えましょう。swimとは無関係だというぐらいに大げさに考えてみてください。すると、I couldのところまでは、私には「能力があった」という意味になります。能力があったと言っているだけなのですから、、実際に、泳げたのか、泳げなかったのは、文法的には完全には決定できず、その話者の主観とか、現実、常識に任されることになります。

二つめの解釈である仮定法のcouldの場合も、その直前のIを助けているのですから、実際に泳げたかどうかは微妙になります。仮定法ですから、実際、微妙なのです(「若かったら速く泳げたかもなあ」)。

そもそも上級者が感じるモヤモヤ感は日本語の影響でしょう。日本語では、「泳げる」という風に、可能を表す「げる」の部分は、確実に主語(泳ぐ)を助けていますね。だから、可能を示すcouldを見て、日本語の感覚で、本当に泳げたのか、泳ぐ能力があったのに、実際は泳げなかったのかが気になって仕方がなくなるのです。

助動詞を助主語だという考え方を受け入れれば、上の二つの解釈で使われるCOULDが同じに思えてきて、すっきりします。willの過去であるwouldの場合も同じです(長くなるので、解説は省きますが、上の解説と同じ理屈です)。

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