コロナの影響

アメリカでもコロナウイルスで大変ですが、昨日、アメリカ人がマスクをしているのを初めて見ました。

一人目は、近所のCVS(コンビニのようなものですが、薬局があります)で、黒いマスクをしている人がいました。服装も黒っぽかったので、コーディネートされている感じでおしゃれでした。

その後、家に変えるのに自動車を運転していると、地元の高校生が今度は紫っぽいマスクをして歩いていました。この女子高校生も、自分の服に合わせたマスクをしていました。

初めてアメリカ人がマスクをしているのを見たことになります。

マスクが白だったらもっと衝撃的だったと思います。

こういう時にリーダーシップを発揮すればトランプ大統領の株も上がると思いますが、トランプさんは、コロナウイルスなんて、人が言っているだけ、政敵である民主党員が、噂を広めて、大統領の評判を落とそうとしていると考えているようで、大統領が話せば話すほど、混乱が深まっています。

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音楽と英語

小学校に入る前から、音楽教室というのに通った。母や、おじいさんにバイクか自転車で送ってもらっていたと思う。記憶は薄いのだが、オルガンでメリーさんの羊だけは弾いたが、その最後のときに、先生が、「メリーさんの羊しか弾かなかったと指摘したような記憶があり(本当かどうかわからん)、え?でも他の曲弾けと言わなかったのに、、、と5歳ぐらいのときに思ったような気がする。グループ指導だったのだが、子供にとって、文字通り、他の曲も弾いてと言われないと分からない。 次の音楽の思い出は小学校の4,5、年ぐらいだと思うが、ウクレレを買ってもらった。教則本も買ってもらい、にらめっこしたのだが、コードの意味が分かるのに、2,3日かかった。あ、そうか、左の指で押さえておいて、右手でジャーンと弾けばよいのか、、、と。じゃあ、最初から言ってくれればいいのにと思ったのを覚えている(その後、シカゴの大学院でSASプログラミングを始めてPROC MEANSの意味が分かるのに2日かかったことに似ている)。 どちらも、じゃあ、最初っからそう言ってくれればいいじゃないかということだ。自明でなかったのである。子供にとって、ギターを弾くということの意味が、2日ぐらいがんばって分かった。 その後、子供用のアコースティックギターを買ってもらったのだが、これは、なかなかうまくマスターできなかったが、後で考えると、弦圧が高すぎて、子供の指には痛い、痛い。 中学でエレキギターを買ってもらい、そこからは、水を得たような魚であった。思うに、TAB譜というのが腑に落ちたのだと思う。TAB譜というのは、横線が、ギター弦の6弦に対応している。そして、その上にふられた数字は、何譜レットめをさすかを示す。 特に当時、ヴァンへーレン、AC/DC、LOUDNESS、OZZY OSBOURNEで出会うことができた。さらに、そのギター譜が、当時のギターマガジンだったか、プレーヤーだったかにのっていたのだ。自分の知っている曲でタブ譜を見ながら曲を一曲、一曲コピーしていく。やっているうちに、音楽のシステムが分かってくる。 当時のヘビメタで私が感謝するのは、ヒット曲が押し寄せてくる+音楽誌が楽譜を掲載してくれる+地元の楽器がライブの機会を与えてくれる+学校にいけばライバルがいる+近くの高校にも化け物のようなバンドがいる+ベストヒットUSAを見る、、、(小林克也氏のかっこいい英語を聞く)、、、という風に、あちらからも、こちらからも、学べる、楽しめる機会があったことだ。 英語学習に関しても、こんなインフラがあったらいいなあ!日本にはありそうで、ない。インフラになりうる英語喉コミュニティーの発展を願う。 ジャーニーをコピーしているころに、あ、こういうことかとピンときた。メロディアスなソロがよかった。さらに、セパレートウェイという曲では、なるほど、E単調だと、開放弦が使いやすいことに気がつく。AC/DCやVAN HALENも、開放弦が使いやすい調の曲が多い。 おそらく最も数多くコピーしたのは高崎晃氏のギターだと思うが、おそらく彼が世界最高のギタリストではないかと思う。エディーバンへーレンなどを総合的に見ると超えているように思える。もちろん、ランキングにはあまり意味がないのだけど、あえて言うならということです。 中学だったか高校だったかでヒロシマ市の郵便貯金ホールで見たコンサートは、LOUDNESS2回とマイケルシェンカーグループ。特にLOUDNESSがよかった。LOUDNESSの魔界転生のテーマから、ミラーに移るときの盛り上がりがすごかった。 とどめをさしたのは、イングウェイマルムスティーンというスウェーデンのギタリストで、当時、アルカトラスというバンドに参加していたのだけど、ヒロシマモナムールでノックアウトされてしまった。その曲を懸命にコピーしているうちに、なるほど、このようにしたらよいのか、、、というのが理解できた。さらに彼の影響で、クラシック音楽からも聞くとよいということだったので、ビバルディとか、モーツアルトとかを聞いて、そのメロディーラインをギターで再現する練習などもした。しかし、これは微妙に役にたったのかよく分からない。 OZZY OSBORNEバンドの故ランディーローズの曲を聴くたびに、ランディーローズの若き死をまだGET OVERできないと感じるのは普通ではなかろうか。彼は2枚しかアルバムを残さなかった。 2007年にDCにてついにVAN HALENのライブを観た。さらにAC/DCも近年2回みれた。 AC/DCを見たときは、アンガスヤングのギターを聴きながら、彼のやっていることを自分もおもわず再現してしまう自分がいたのだが、やはり彼のスタイルの影響は大きいと思った(というかコピーしやすい、、非常に感覚的なブルースを基調にしたロックだ)。 おっさん、ありがとう、、、と思いながら鑑賞した。その尊敬するおっさんが、大観衆の前で服を脱いで最後にはパンツを下ろしたのにはおどろいたが、、、(THE JACKの演奏をバックにだったと思う)。 さて、英語の話に移る。昨日、AC/DCの楽譜を買ってきたのだけど、歌詞を読みながら、うーん、でもシラブルをちゃんとして歌うのはどうしたらよいか?と思っていたのだが、今まで見えていなかったことにきがついた。歌詞がシラブルごとに分かれているのである。 そこにあるのに見えなかったものってこのことだ。 例えばだけど、 For those about to rockという歌詞だと、 For…

ジョンと25年ぶりの再会になる予定

クッちゃんと喉やんが、ジョンさんとカズさんの話をしているところを、カズさんが、録音しました。 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_08_01_2011.mp3|titles=kaz_08_01_2011] 直リンはこちらをクリック。 さて、今週は、とても待ち遠しいことがあります。それは25年前(1986年のこと)、私が同志社大学の1年生になり、学校が始まったぐらいの週に、出会ったアメリカ人の友人ジョンと再会できそうなのです。 今、DCになにかのイベントで来ているのです。ハワイ大学で教えているジョンは、20人ぐらいの学生をつれて昨日到着しました(まだ会っていない)。 京都の東山区、「せんにゅう寺」というとこに住んでいたのですが、同じ通りにアメリカ人が数人たまたま住んでいたのです。私はジョンに英語を教えてもらいました。銭湯が同じだったので、サウナのなかで英語をしゃべったり、、、やっぱり今思うと、おおげさな英語喋ってませんでしたよ。 遊びに行ったら、線香をたいていましたよ。仏壇でなくてね。そのときは、アメリカ人はすごい発想だなと思いました。ただ、線香をたいていたのが、トイレだったような気がします。ウンコの匂いを消すためだったのか、、、、記憶が薄れています。25年前のことなので。 ま、とにかく、大学1年のときであったアメリカ人が線香をたいていたのは、本当にびっくりした。(当時、同志社のウィリアムズ先生<ちなみに、先生は、評論家の竹村健一氏が若かりしころに英語を教えたとよく言っておられた>が、大学生協で、アイスコーヒーがないと言われて、コーヒーと氷もってきてくれと言ったのも、アメリカ人ってすごいなあと度肝を抜かれたのでした。それと同じぐらいのびっくり度でした)。 ジョンだけじゃなく、もう一人、ミネソタ出身の兵隊みたいな髪型をした青年もおりましたが、彼はミネソタは蚊が多いんだ~みたいなことを言っていた。だから今でも、ミネソタの人に会うと、蚊が多いんっでしょ~とか言うと、打ち解け度が一挙に高まります(笑)。 サウナで英語会話をしていたのでした。 ESSでスピーチの暗誦大会があって、当時、チャプリンの映画、独裁者からのスピーチが題材でしたが、彼に発音をチェックしてもらいました。大会を見に来てくれたのですが、後で、私がそのスピーチを「明るく」読みすぎたとの指摘。 今思えば、英語の「意味」と音が一致していなかったんでしょう。つまり、あのスピーチは重いテーマのスピーチです。でも意味を考えていなかったので、おもわず明るい感じで読みすぎてしまったのです。 私もジョンの手伝いをしたことがあります。京都の南のほうだったと思いますが、通訳として、在日の外国人のビザとかを管轄する役場みたいなとこに一緒に行ってあげましたよ。 その後、ジョンとジョンのアメリカ人の彼女(現在奥さん)は愛知県の西尾というとこに引っ越しました。英語学校に勤めていたのです。で、私は夏休みを利用して、遊びに行ったのでした。下は、たぶん、駅の近くの公園だと思う。 ジョンが西尾を発音するときに、ニ~~~シイイ~~オオオオウウウみたいに発音していたのが印象に残っています。今思えば3ビートだ! 当時は、葉書や電話でアポをとったんでしょうね。今と違って。 そこで、前にも登場した逸話ですが、ジョンの友人達のパーティーへ招かれたわけですが、そこにはアメリカ人が8人ぐらいいたのじゃないかと思います。中学、高校、大学1年と英語を勉強してきた私が、そのパーティで言われていることで聞こえた英語は一語だけ。 NO SHIT (「まじだぜ~」、、、という意味) だけでした。この言葉だけは、何回も、何回も聞こえました。 これはかなりショックでした。 でも、当時でさえ、私は同志社のESSの1回生でも英語ができると思われていたのですよ。さらに、上で書いたサウナ英語でも、通じていたし、私に対して言っていることは理解できていた。 ジョンが仕事中だったと思うけど、ジョンのガールフレンドとプールに行ったことを覚えています。そしたら、彼女が、「長いす」みたいなのに、どて~~~んと日光浴を始めましたが、その豪快さがガイジン的で記憶に残っています。 私は田舎者なのですが、広島の田舎のプールでは、どて~~んとプールサイドで横になっている日本人はおらず、ぎゃあぎゃあ、泳ぐのが目的でしたから、お~、ガイジンのやることは違う、、、と思ったのでしょう。 よく考えると、私とジーナが週末には、アパートのプールでどて~~~んと横になって(椅子みたいなのに)日光浴をしています。アパートの人達も、どて~~んと日光浴をしています。それと同じ光景です。 その時は、西尾がアメリカになっていた。…

週末英語喉セミナーレビュー

土曜日は朝1番でさっくんさんのボランティア指導をしました。なかなかいいところまでいきました。音声があるので、今度の機会にUPします(が、ちょっと時間がかかりそうです。今日から出張なので)。 その次はDCの地元の人、2人に実際にお会いして指導。面白かったです。本日は書く時間がないので、声で説明しました。特に強調したのは、 深呼吸の大切さです。深呼吸というと、吸うときだけというイメージがありますが、吐くのも大切。吐きながら、音を息に乗せてというか、音=息という感覚でしゃべると音がスムーズになります。 とても大切なことがあります。息を大きく吐きながらしゃべる=喉が開いたままということです。練習のときは、息を吐くことで喉が開いているぞと意識しながら練習してください。 日本語のツ(小さいツ)にあたるものを取り除くことができます。 それでは、アドリブ英語の音声で説明します。背後に聞こえるご~~~という音は飛行機の音です。レーガン空港に発着の飛行機が真上を2分に1機?ぐらいと思える頻度で通り過ぎるのです。 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_09_25_2011.mp3|titles=kaz_09_25_2011] 直りんならここをクリック。 それでは今日の午後から、近場ですが、出張するので、水曜日まで休みます。では~。 その後、すぐに、休暇にはいり、帰ってくるのは来週の半ばです。来週の後半より後の直接指導を希望のかたは、メールください(返事が遅れるかもしれませんが)! 昨晩見たテレビ。心臓麻痺に関する番組。これ見て、肉食うのをやめることにした。今後は豆腐でなでしこレベルの肉体を目ざす(現在は、運動をしていない白人レベルの筋肉)。 土曜日に見た映画。ブルーバレンタイン。おすすめです。しかし、字幕を読んでいては、理解できない映画の類でしょう。ストーリー性というより、じっくりと意味(人生の意味みたいなの)を読み取りながら楽しむタイプ。 http://www.youtube.com/watch?v=sYgr_iGATB4 では。

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