December 5, 2011

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剣道の稽古と英語喉に強烈な共通点がある

人気ブログ投票にぽちっとお願いします。 火曜日と日曜日は、2時間の剣道の稽古がある。ジョージワシントン大学の剣道部だ。 昨日、タレにつけるゼッケンで注文していただいていたものをゲットしたのだが、GWUと書いてある。GWUの学生じゃないけど、GWU所属みたいだ。 世界銀行があったり、ホワイトハウスが近かったりするGWUの本拠地フォギーボトムではなくて、ジョージタウンの奥のほうにある体育用の施設で稽古がある。 剣道と英語喉の間には強烈な類似点がある。 ひとつは、剣道での打ち込みにライフサイクルがあるということ。面だろうが、コテだろうが、胴だろうが、 始まり、中間点、後半がある。 そして、この3つがスムーズにつながったのが剣道の基本の打ち込みのようだ。 これが基本練習のときにできていなければ、応用練習においても、正しい打ち込みができない。応用練習でもできなければ、いわゆる地稽古(試合にもっとも似たスパーリング)でもできない。 基本の打ち込みができないと、相手から見て、いつ打ち込んでくるのかがバレバレになる。 例えば始まりと中間点の間で、ふりかぶってしまっていては、今から打ちますよと相手に言っているようなものだ。 逆に、相手が基本ができていると、恐怖だ。まるで新幹線が突然体当たりしてくるかのような感じだ。 英語喉においても、本の最初のほうの基本の喉発音ができなければ、その後の個々の音も出ない。喉をリラックスさせ、喉を開けたままで、、、というのができていなければ、どうしても舌がもりあがり、喉の出口をブロックするので、喉の音がうまく出ない。 ただし、英語の音が喉音だということに気づき、3ビートをやると、聞き取りが向上するだろう。 昨日は、基本練習のときに「ゆっくり打ってください」という貴重なアドバイスをもらったのだが、それが分かっていても、あせって、速くなる。 これは、英語喉の実践者のかたで、「喉でゆっくりやってくださいね」と1時間半、お教えしても、直後の会話練習で、あせって、速く喋ってしまうことにそっくりだ。 あせらない、、、、このことを克服するのが自分との戦いなのかもしれない。 しかし、応用練習で、デバナこて、、というのがあるのだが、わざと面を打ってあげて、相手にコテを練習させるというのがあり そういうときは、気持ちに余裕があり、すんなり、面が打てたりする。 ところが、自分が打ち込まないといけない練習になると、焦りが出てきて、体が前に出ない(いや、これは、あせりの問題じゃなくて、相手との距離の問題なのかもしれない。この練習の場合は、届く届かないということをあまり難しく考えずに打ち込むものだから、フォーム自体は自然になるのかも) 腰からしっかり出るというのが大切なのに、「届かない」という不安感?からか、腕に力がはいり、手だけで打撃しているような感じになり、また補助的や役割しか持たないはずの右腕が活躍しすぎてしまう。 本当は左腕が中心的な役割をしないといけない。 しかし、このことは、腰から打ち込む感じでやると、全て連動的に直ってしまうことは、直感的に分かる。そして、腰から打ち込むためには、二つの要素があるようだ。 ひとつは、距離。もうひとつは、打ち込むのに大切な足さばき、そして左足のようだ。 届かないというのは距離が遠いからだろう。足の踏み込み力がなかっても、距離(とスピード)が克服できないだろう。 このことは、私は、剣道の先輩がたとの会話、そして、彼等のやっている姿を見ることで学び取ろうとしているのだが、正直なところ、見るだけでは、無理で、素直に質問をする、、、ということが非常に大切ではないかと思う。 説明を受けたあとで、よ~く見てみると、たしかに、先輩がたのフォームには共通点があり、自力では見えなかった点が見えてくる。 例えば、打ち込む直前に、私は間違ったことをしていたことに昨日は気づいた。 打ち込むと言う動作には、ライフサイクルがある。 始まり~中間~後半だ。 始まりの最初のところで、振りかぶるのが正しいのだが、間違って、始まりから中間の間で振りかぶってしまっていた。この間違いに気づいた後で、複数の先輩のフォームを見ると、やはり、皆、正しくなっている。そして、それが正しいからこそ、試合形式の練習においても、同じく正しい振込みになっている。 正しいからこそ、新幹線が体当たりしてくるような錯覚に陥る。いつ、踏み込まれるのかが、予測しにくい。 しかし、この振りかぶりのままの初心者が相手だと、いつ打ち込んでくるのかが、ばればれなのだ。 さて、上で述べたが、素直に質問をする、、、という点。これは、アメリカでの剣道の稽古では、どなられない、、、という利点があり、練習がリラックスした雰囲気があるということがある。 それはなぜかというと、アメリカ人の初心者は、姿勢からして、日本文化を理解しないな、、、という気がする、、、どなったらいけないな、通じないなという感じがむんむんだ。 それは、究極的には日本人が特殊なのだと思う。アメリカ人の初心者には、日本人にある固さがない。だから、どなりつけるような雰囲気が生まれない。 英語喉なしの世界では、日本人とアメリカ人の文化の距離は果てしない。通じ合えないという感じだ。だから、日本の稽古にあるような、どなりさえ使えない雰囲気だ。 どなったら、嫌われてしまう、、、ということが先にたつだろう。日本の教育言説だと、「お前のことを思ってしかっているのだ」となる。 初心者が、道着の下にTシャツを着ている。 日本人の感覚では信じられない。 しかし、その基本感覚が違いすぎて、注意する気も起こらないのである。 ジーナに言ったら、「白人は汗をかくので、汗をすわすのに、Tシャツを着るのだと思う」との非常に的確なる答えが出た。 しかし、道着の胸のVのところから色のTシャツが見えているのは、剣道の伝統からみてまずいと思うので、Vネックのシャツがよいのかもしれない。 と、いいつつ、私自身、広島の剣道では学ばなかった作法などがあり、とまどっている。稽古のあとに、個人的に、人の前に行って、正座のまま礼をし、感謝するのだが、これは、まだ戸惑ってしまうのでした。 剣道にも、ハイカルチャーの剣道(首都圏?大学剣道?)と、田舎で適当に育った剣道があるのかな?私が中学高校と経験したのは後者。 ところで、英語喉実践者で苦労しておられる人は、私のSKYPEセミナーを受けて基本を正すと良いと思う今日この頃でした。 人気ブログ投票にぽちっとお願いします。

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