March 7, 2011

声が良いと言われて、反応に戸惑う

マサさんがMIXI日記で英語喉の成長記録をされているのが面白い。マイミクになると読めるような設定になっている。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1683923533&owner_id=7661548 さて、土曜日に、髪を切りに言った。俳優のデカプリオの写真と、ミリタリーカットの写真を持っていって、この中間にしてくださいと、いつもいく美容師さん(日本人の女性)に頼んだ。この人は、もともと喉で喋っている。だからかわからないけど、普通のアメリカの美容院でばりばりやっている。その日は、日本人のクライアントが多かったそうですが、私の前のお客さんは、アメリカ人の女性で、神様を拝むような感じで、ありがとう、ありがとうとその人に言っていた。 腕が良いのだろう。私も、この人にやってもらうとかっこよくなった感じがして気持ちがよい。 助手というか、アプレンティスさんがいて、このかたは日本人男性で、髪を洗ってくれたのだけど、え?手が4本あるの?と勘違いしてしまうようなテクニックで、トニックシャンプーみたいなのを使って洗髪。床屋に来ているのか、マッサージに来ているのか、分からない感じでよかったです。 英語喉の話をしていたのだけど、お二人が、私の声が良い、声が良いと言ってくれて、反応に戸惑った。 いや、楽だからこういう声にしているんです、、、とか、わざとやっているんです、、、と言ってみたが、分かってくれたかな、、、、。 分っかるかな~~ 分っかんね~だろ~な~(と、指を鳴らしながら、と言ってみる)。 思うに、私自身が声が良いと言われても、全然、うれしくない。と言うのは、英語喉って私のことではない。じゃなくて、それを実践して、英語ができるようになる人のことであり、歌がうまくなる人のことだ。 だから英語喉には、著者の一人である私がどうやって英語を勉強したとか全然書いていない。留学してどうだったかとか書いていない。 というのは、私のことじゃないからだ。 でも従来の本ってそういうことがたくさん書いてある。それは、思うに、日本の教育文化って、うまくならす、習得させるメカニズムを「あこがれ」に頼っているところがある。 あ~、XXさんみたいになりないな~~っていう「あこがれ」をメカニズムとして、若者のヒューマンキャピタルをつけてやろうという考えだと思う。 そういえば、こないだ紹介した吉田研作氏の英語の講演も、「日本人は、英語ができる日本人にあこがれ、そうなりたりと望むのであり、ネイティブのようになりたいとは思っていないのだ」とおっしゃっていた。 しかし、「あこがれ」には限界があるし、グローバルエコノミーのピッチが速すぎて、今の大人にあこがれても、中学生、高校生が就職することろには、そのあこがれたものは、価値を失っているかもしれない。 しかし、この「あこがれ」は今の日本にはある意味で好ましいものではない。あこがれでは、若者の将来はないと思われる。 必要なのは、本当に 今、英語ができるようになること 今、質的、量的な分析力をつけること 今、リーダーシップ、グループワークを学ぶこと などなどだ。 いや、今というのはちょっとあせりすぎなので、例えば、今年の末までにと言った感じがよいかも。 ただの高校生さんが、週末などに、英語喉をやったり、なんかテクニカルなことを自分で勉強されているようだが、そういうのがよいのだろう。 あこがれてもしょうがない。 私は、英語喉とか機関銃英語の著者の一人だけど、「これらの本に影響を受けて、言語学を目指す人が増えてくれればうれしい」とか全く思わない。目指すなということではない。 じゃなくて、英語ができるようになってほしいと思う。そして、それぞれ得意な分野で役立ててほしいものだ。いや、分野といわんでも、生活の質が向上するとかそういうのがよい。 英語喉で友達ができたとかそういうのも聞きたい。

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