March 6, 2011

言説形成としての英文法、そして脱構築の試み

最近、英文法の本を参考にすることでこれまでどのような形で英文法が語られてきたかというおさらいをしている。私は英文科の出身であるし、また英語教師として英語文法も2年間教えていたので、少なくとも、高校教師として教えていたころは、寝ながらでも教える自信があった。したがって、英文法に関しては、「あなたはまず英文法を勉強してから出直してください」と言われる筋合いはないだろう。 さて、やはり英文法の本を見ていると、日本で文法と言われていることの99%は文法ではないように思う。ここで、文法というのは、チョムスキーの生成文法にあるような意味での文法であり、人が文を作り出す上でのルールにあたる文法である。 一つ例をあげてみたい。私が今参考にしている文法の本は、XXX(XXXさん)である。ただし、これはたまたまこの本を持っているということであって、おそらく他の普通の文法の本でも同じような言説形成が起こっていると思うので、私の以下の議論は、あくまでも、現在のパラダイムのディコンストラクション(脱構築)である(脱構築と言う言葉は、デリダとかデュマンとかが使った意味における脱構築である。) <注、本の名前は伏字にしました。あまりにCONTROVERSIALなので。> さて、XXXのXXXページにAとANのつけ方のルールが以下のように紹介されている。注目すべき点は、4つのルールが紹介されている点だ。この4という数字を覚えておいて欲しい。 最初のルール。原則として、ANは母音の前で用いられる。An APPLE 2番目のルール。母音時で始まっていても、発音が子音の語には原則としてAをつける。A UNIVERSITY 3番目のルール。Hで始まっていても、Hを発音しない語にはANをつける。例 AN HOUR。 4番目のルール。略語でも母音で始まるものにはANをつける。例 AN MP さて、英語喉パラダイムにおいては、AとANの使い分けは、シラブルの構築、3ビートに大きく関連している。英語喉、機関銃においてシラブルをまたいて、母音と母音が隣り合わせになったとき(下で例を示す) 、WあるいはYが生じるという事実を解説している。 SHE IS --> SHIY-YIZ  YOU ARE --> YOUW-WAR  どの母音とどの母音のときに、Wになり、Yになるという法則はあるが、覚える必要はない。喉の奥で音をつなげて発音していれば、自然とYやWが潤滑油のように生じるからである。 原則は、音がつながるという絶対的な性質をもった言語において、母音と母音がシラブルとシラブルの連結部においてがっちんこしたときに、潤滑油のようにYやWが生じるということだ。 さて、ANもこれと同じ原理である。 A APPLEというふうに、母音で始まる単語の前にAだけを言おうとすると難しい。もちろん、カタカナ発音の人にとっては、AだろうがANだろうが、どちらが楽だということはいえない。ちょうど、体の硬い日本人は、気をつけ状態でも、休め状態でもどちらも楽じゃない、、、と言うことに似ている。 しかし、喉発音をやっていて、A APPLEというのはとても難しい。Aで急に止めるのが難しいのである。しかし、ANだと AN-NAP-PLという風にうまくつながり、楽にいえるのである。 さて、従来の文法感で言うならば、頭の中に、上で引用した4つのルールを覚えておいて、実際の会話で使うということだろうが、これは、事実上、とても難しい。ただでさえ、色々なルールが英語にはあるとされている。他のルールもあやつりながら、AとANの4つのルールを扱うのは不可能に近い。 しかし、多くの人が、基礎的な文法が大切だという。 ここで私はOBJECTOINをとなえたい。文法を従来のかたちで勉強すれば勉強するほど、英語が喋れなくということを。 喉で発音してれば、ANと言ったほうが楽なので、非常にINTUITIVEにマスターできるのだ。これは以前、梅子さんがBLOGで書いておられた。喉発音を始めて、AとANの区別が楽になったと。 つまり英語喉パラダイムにおいて、従来、言説的に形成されていた4つのルールがまずは壊され、そして、再び、構築されなおす、、、これが脱構築という文学クリティークの分野が発見した批判理論的道具である。 英語喉パラダイムが発見したのは、従来の4つのルールが実は言説物にすぎなかったということである。 言説とは、独特の知の体系であり、人を試験し、たまに序列化する。あたかも、それ自体の生命を持つかのように人をコントロールする。言説というのは、書かれたものだけをさすのではなく、実践をも含む。言説は実践者が参加する経済体制を持つ。しかし、その経済体制とは、かならずしもマルクスが描いたような大きな仕組みではない。ローカルなレベルでの権力関係を保持し再生産するが、だからといって、社会全体に影響を与えないとうことではない。やっかいな点は、「知」ということで、その存在が正当化され、知の番人によって硬くガードされている。 さて、現在の英文法は、そういう理解をすればするほど、英語ができなくなるというカラクリになっている。いや厳密には、英語ができないから、英語の「ルール」を用法と称して、過剰生産をしてしまうということがおそらく正しいと思われる。 このパラダイムを開放する必要があるだろう。 従来の英語のパラダイムは分類したものを暗記するという点において、知をささえる人のハイラーキーを脅かさない。暗記は、知に親しんだ年数が長いほうが有利であるから、若者が、年配の教授の知識を上回ることはまずない。しかし、英語喉パラダイムは、下手をすると、生徒のほうが教師よりも実践において上回ってしまう可能性を秘めている。これはスポーツと同じだ。 発想を近代化しよう! いや、もしかしたら英語喉はポストモダンかもしれない。ポストポストモダンかもしれない。広島でモダンといえば、焼きそばが入っている。

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