April 24, 2010

日本人としてのサガ (周りに人がいると声がちいさくなる)

NITROさんが、BLOGにお書きになっていたが(http://englishthroat.blogspot.com/2010/04/no1.html)、私と英語を喋っているときに、周りのアメリカ人が気になって、口発音ぎみになってしまったという件、、、 私もえらそうに、喉発音を伝道しているが、当然、日本人なので、同じ状況にあると、口発音ぎみになる、、、というより、喉発音において大切な喉の核音が聞こえにくくなるような発音をしてしまう。厳密に言えば、声が小さくなるということでもないかもしれないが、現象としては、声が小さくなる。 それを感じたのは先週、クライアントとのミーティングで私がちょっと声が小さくなってしまったということがきっかえだ。そのミーティングは私が今まで経験したなかでは、最も政府で位の高い部署の人があつまっていて、全員がスーツだったので、ちょっと緊張ぎみだった。実際は、冗談がぼんぼんでていたのだが、特に、ものすごいカリズマ性のあるゲップエリア発音びんびんの人がとなりだったので、雰囲気に飲まれてしまったのだ。 全体に向かって喋るときは別に問題がない。 問題は、特定の人に向けて話をするときに、周りに人がいるものだから、なぜか、声が小さくなる。すると、英語の核の音である喉音が聞こえなくなるである。(もしかして、録音をしようとしてマイクに向かって喋っていて口発音になってしまうことがある、、、理由は、マイクが相手で、その他の人には聞こえないように、、、という感じになってしまうから???なんて想像もしている。マイクに向かっていようが、いまいが、大きな声で喉音を出すとよいかも、、???) アメリカでは、人が周りにいようがいまいが喉音びんびんで喋らないといけない。逆に、周りに人がいるからと言って、声が小さくなると、何かうわさ話をしているのではないかと誤解されるだろう。 日本人の文化DNAの中核にある「人に迷惑をかけない」という原則が、自然と声を小さくしてしまうのではないだろうか。 ここで、勘違いしてはいけない。じゃあ、アメリカ人は人に迷惑をかけないという原則が弱いのか?そんなことはない。ただ、その表現方法がたまたま、声を小さくすることで、謙虚さを出すという感覚がないということではないだろうか。 会議に出席していて思った。ああ、この会話を英語が半分ぐらいしか聞き取れない人が聞いていたら、「英語は論理が中心だ」なんて思うんだろうなあ、、、と(藤原氏の国家の品格における勘違いがこれだ)。 英語というのは、非常に簡単な言語だということがいえる。これはNITROさんも言っていた。構造が非常にすっきりしているため、次に何を言うかが想像できる。だから、人が何かを言いおけるとすぐか、終わるかいなかの段階で次の発言があったりする。 これを聞き取り100%出ない人が聞いていたら、英語でけんかをしているとか、論理の戦いだ?みたいな勘違いを、その雰囲気から、してしまうのではないだろうか。 さらに口発音で声が小さい日本人が、言いたいことがあっても、どこで口をはさんでよいか分からないだろう。 TWITTERでも書いたのだが、こんな場面があった。ある人が、スーと息をすった。その瞬間、テーブルに座っていた20人ぐらいの人が一斉にその人を見たのである。 スーと息を吸うだけで、この人が何か言うぞ、、、と振り向くのである。 だからアメリカ人にはアメリカ人なりのルールがあるのである。決して、人の話を聞かない民族ではない。 それどころか、このルールは、アメリカ人だけでなくて、日本人以外のほとんどの民族が持つ普遍的なルールなのだ。 本日の内容を、アドリブ英語で喋ってみました。花粉アレルギーで声がやられています。 www.estat.us/blog/kaigi1.wav  

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