January 2009

教育実践・言説の脱構築
つまり、先生としては基本を強調すればするほど、勝てるわけ、、、生徒としては、基本を信じれば信じるほど負けるわけです。

皆さん、よいお年をお迎えになりましたか。ニュースを見ていると、日本の経済が大変なことがわかります。アメリカの経済も大変なので。知っている人の会社(アメリカ)が、なくなるんですけど、その人はたまたまそれを知っているんだけど、その他の人は知らないんですって。その金曜日に全員が突然知らされる、、、という話を、2週間ほど前に聞きました。  喉が今年は、多くの人の人的資本を増やすことを祈っています。さらに、喉によって得られる英語力によって社会的資本も増えることを祈っています。そして、人的資本と社会的資本のからまりあいで、個人レベルだけでなく、社会全体の活力が大きくなることを願っています。  学校制度に生かされるとよいとは思いますが、私は、子供の教育だけに絞るというのは、ある意味で責任転換だと思っています。私たちが、今、ここで、自分たちの頭のなかや体にある資本(スキル、技術、経験など)を伸ばすことが大切だと思います。というのは、我々の世代(前後を含む)が、この経済のなか一体、退職ができるのかというのは保証がありません。 ですから、子供のせいにせず、自分たちを含めて考えましょう。国家の品格などの議論で、子供に分かいころから無理強いしてでも本を読ませろという議論がでてきますが、そういうフウに、子供にやってもらおうという時代じゃないと思うんです。 もし、本を無理してでも読ますことが効くのであれば、20代でも30代も40代でも、50代でも、60代でも、効かないといけない。逆にいうと、大人が、無駄だと感じるものは、子供だって嫌だと思います。 まずは大人として、教育投資をして、実際に効くもの、、、そういうものを子供にやらすのはよいですが。  (いや、子供時代にしかできないことがある。子供は頭が柔軟だ、、、と思われるかもしれませんが、喉革命を経験された人は、いかに人間の脳が、大人になってもFLEXIBLEであるか、ということをご存知だと思います。)大人として、自分はこういうのが得意というのが誰にでもあると思います。たとえば、指導力のある人というのはいる。計画力とかね。 私は計画力に欠けているのです。例えば、MIXIのコミュニティで、今度、スカイプで会議をやりましょう、、、と提案しましたが、そのときに、きちっと、この日にちにやりましょう、、、という感覚がないので、だらだらと計画にならないんです。  これは大学院の文化だと思います。締め切りがないもんだから、計画をがんがんできない。 ところが、計画などが非常にうまい人がいる。うちの親父、兼、喉応援団長などは、そういうのができるようです。地元の祭りなども、計画実行してしまいます。 そういう風に、「できるもの」を誰もが持っている。そのできることをどうやったらできるのか、、、というメソッドを開発しましょう。で、みんなでそれをSHAREするわけです。 私はいつも思うことがあります。それは「喉もとすぎれば暑さ忘れる」という諺にちょっと似ている状態です。  面倒ですが、例から始めます。 プログラミングをやっていて、いつもやるプロシージャがあるんだけど、それをいつも、SAVEしておくのを忘れるんです。だから次にそれをしたいときに、また最初からやらないといけない。 それは、あ、できたと思ったときに、それをちゃんと保管しておくことが面倒になるんです。 喉もとすぎれば熱さを忘れる、、、というのと少しだけ違いますが似ています。  大変だった作業もやり終えてしまうと、その作業のやり方を書いておくのを忘れてしまう。 で、これは自分だけのことですが、社会でみたらどうでしょうか? 誰もが得意なことが一つぐらいあるはずですが、どうしてそのことが得意になったのか?どうやったら得意になれるのか、、、ってのを人に説明するのが面倒なので、やらない。 社会的にみるととても無駄ですよね。  で、たまに、説明する人がいますが、全然、自分がやっていない方法をメソッドとして発表してしまう人もでてきます。例えばですが、英語を覚えるのに、何かをやたらと繰り返すというメソッドを提唱している人がいるとします。その人はとても英語が得意かもしれません。でも結構、本人自体は、そういうメソッドをやったから、うまくなったわけじゃなかったりします。 でも、後輩たちは、ああ、あの先生がそういっているなら効くはずだと思うでしょう。 私にも経験があります。社会学の統計をする人たちがあつまって、社会統計手法の本を書きました。何年か前、社会学の一つの資格として、社会調査師というのを確立されたのですが、その一つの教科書となれば、、、という思いで書かれた本です。 ところがですよ、私のようにすでに社会調査のやりかた、データ分析のやり方を知っている人は、そういう制度をつかったから、分かるようになったんではないんです。どちらかというと、プロジェクトを通じて身につけていきました。  もし、私自身が、資格制度というのによって、社会調査を学ぶなら、嫌になってしまうでしょう。あまりにも多い項目、必ずしも、使うわけではない項目をカバーしないといけないからです。 現代社会は、そして特に日本社会は、試験とか資格という発想が強いように思います。実は試験とかせんでも、できるような分野でも、試験をつくり、何年も修行させるような制度が作られます。なんででしょうねえ。 今、この景気が悪いときに大切なのは、何かができる人が、そのメソッドを開発し、それを多くの人とシェアすることだと思います。 そういう意味で、私もやってみようと思うのは、もちろん英語の分野もありますが、あと二つあって、一つは数学やら統計を一体どうやって使ったら経済活動に役立つかということ、二つめは音楽理論・実践です。  皆さんはどうですか。 私は、どうしても、理論とか学問とかそういう方向に行きがちなので、指導力の分野などよく分かりません。運動などもよく分かりません。 音楽理論、実践というのは、私がこの5年ぐらいで貢献できそうな分野です。私は例えば、ピアノはそんなにできないんですけど、なぜか聞いただけで(もちろんメロディーを覚えないとやりにくいですが)、伴奏ができるんです。適当に。 全然、日ごろ弾いていません。が、あるメソッドを使っています。使っているメソッドはギターでも使っています。  ピアノよりもまず先にギターでやってみるかもしれませんが、音楽のシステムというのは以外と単純なのですが、音楽のせいでというより、楽器の物質的な特徴が音楽のシステムをわかりにくくしています。 物質的な特徴というのは、ピアノでいえば、黒鍵の並び方とかです。ギターでいうと、4弦から5弦に行くところで、音程の合わせ方がちょっと変わってくることです。 そういうのは、なんらかの形で、そうセットアップしておくと、弾き易いということだと思うんですが、自然に存在する音楽のシステムを隠蔽してしまっています。 だから、そのあたりを直したい。黒鍵を配列を現在のやりかたでやると確かにハ長調は弾き易いが、他のキーだとめちゃくちゃ分かりずらくなる、、、とかそういうことです。  で、そういう記号の体系が分かる人だけが、ピアノがうまくなるというのが現在の言説状況です。言説とは言われているもの、実践されているものの総体をさしてつかいます。 きまって、がんばれとか、最後までやれとか、できないんならやめろとか、そういうドラマチックな言説的なるアーティキュレーションを伴います。 でもね、音楽も英語喉的な世界と同じで、実は結構シンプルな世界がある。しかし、それが非常に複雑なものになっているし、また、師弟関係、教師と生徒の関係があって、わざと?複雑なものになっている。 そういうのを開放したい。これは新年の抱負としたいです。  知識、スキル、技術、のメソッド開発によって、誰でも短期間でできるようになる世界を構築する。これこそが、経済が悪化した世界で求められていることだと思います。 クリスマスあたりに、ギターの譜面みたいなのをみていたんですが、そのとおりに弾いていたら手が痛くて弾けない。コードを教科書どうりに弾くとね。 アコースティックギターでFを弾くと指が痛いんです。 でもね、MIXIなどのギターのフォーラムを読んでいると英語の世界と全く同じ。  毎日の練習が大切ですね、、、がんばります、、と。 そういうことではないんです。それを実証するためにも、ギターの弾き方というのを示してみたいです。 実際、ギターとかができる人って、そんなに苦労してできるようになった人はおらんと思うんですがどうでしょうか。私も、中学のあたりで、すでに今のレベルに達していました。 そのきっかけは、喉応援団長が、2時間もかかる広島市にあるキサダ楽器に行って、ギター教室に3,4回ぐらい行くようにセットアップしてくれたんですが、たまたまその先生がジャズの教科書を使っておったんです。で、その教科書全部が役にやったということではないだけど、ギターのどこからでも、ドレミが弾けるようにという練習があったんです。  結局、ギターはスケールなんです。意味はわからんかもしれませんが、それ以上でもそれ以下でもない。C#がどうのとか、考えて弾く必要なありません。 このあたりは具体的にしめします。 でね、できる人はできない人に分かるように、できるようになるように教える方法を開発すること。開発したら、その先生がいい先生だとか、恐いとか、全然関係ないと思うんです。それから、できない人は、できる人に、「聞くこと」が大切だと思います。見て盗めというのは結構、限界がある。素直に聞いてみよう。 先生、わからんわい。もうちょっとよー説明してーやあ、、、と。  長くなりますが、基本が大切だとかいう言い方は今年から廃止しましょう!基本が大切だという言い方は、結局、先生が権力を保つための方法にしかすぎないんじゃなかろうか。 こないだNHKで剣道を紹介してたんですが、本当に面白かった。格闘技の専門家のアメリカ人のホスト(こないだまでは、日本のファストフードを紹介しとったんですが)、が初めて剣道に挑戦しとった。 で60歳をこえとる先生は、基本が大切、基本が大切というんだけど、本人は、こすいんじゃあ。面を狙うふりして小手とかね。そのアメリカ人はこてんぱんにやられとった。  つまり、基本が大切だというと、初心者はまっすぐとかしかうってこんし、声を大きくだす。そうやらせといて、自分は、ややコスイことをやって勝つ、、、というように見えました。 つまり、先生としては基本を強調すればするほど、勝てるわけ、、、生徒としては、基本を信じれば信じるほど負けるわけです。 これはカラクリだと思いましたよ。  ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532       

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