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喉サミット

喉サミットをやりましょう、、、とあるかたがおっしゃった。もし喉サミットができたら、こんな話をしてみたい。 ***  喉は単に英語だけの革命に終わるのであろうか。個人の英語力が伸びるだけだろうか。   喉をきっかけとし、日本国全体の国力が高まることを期待している。その国力とは、個人が自由に好きなことを追求した結果、個人それぞれに蓄積する技術力、能力をさす。そして、それらのタレントが、もっとも適した場所を見つけることで、非常に健康な経済が生まれる。   一言でいうと、個人としては二つのことを考えていればよいということになる。 1)自分が何がすきなのかを発見 2)その好きなことをするために、お金を払ってくれるところを見つける(あるいは、あっちが見つけてくれる)   そのような経済においては、人々が楽しく仕事をし、そして自分の得意なことを生かすのだから、最強の生産性が生まれるだろう。   さてなぜ喉が革命の原点となるのか。そのあたりを書いてみたい。   あらゆる分野の知識を解放しよう 何かをやってやろう、マスターしてやろう、、と決意して本を開いたとき、わけわからん、、、ということでは、塾や専門学校に行けるものだけが、自分の好きなことを発見できる、、、ということになってしまう。できるだけ多くの分野の知識を解放し、誰でも何でも学べる、、、というインフラを作る。   こないだ高校のときの数学の教科書を開いたら、めまいがしそうになった。これではだめだ。自分自身、数学がいやだったはずだ。自分のせいではなかったと確信した。なぜか数学の知識が牢獄に閉じ込められているのである。   学問だけではない。リーダーシップとか、芸術など、いろいろとある。観光案内とかでもよい。   とりあえずは、今、自分に得意なものを考えてみる。そして、自分はなぜそれができているのか、それをどうやったら他の人に教えられるのか、などを考えるのである。   がんばれとか、そういう精神論は言わないほうがよいと思う。そういうのは、教え方が分からずに学習者がむずっている状況に、「渇」をいれる効果があるだけだと思う。渇をいれられても、面倒なものは面倒だ。小中高の授業で渇をいれられたことはよく覚えている。にらめつけるように先生をみて授業を受けるべし、、、と中学のとき社会の先生と理科の先生から指導を受けた。社会のテストでたまたま先生が黒板にかかずに口頭で伝えた事項を、クラスで私だけがテストで合っていたということが一度あり、先生が「それは上川がものすごくまじめに授業を聞いているからだ」と全員の前でほめてくれたほどだ(先生、ごめんなさい、あの問題はたまたま市販の問題集に載っていたから知っていたんです。)渇をいれられつづけたためか、私は分からなくてもうなづいてわかったふりをする癖がついてしまった(今でもぬけない)。あとで教師となり、生徒が聞いているふりをして内職をしていることは、ある程度当たり前のことだということを知った(というか知っていたけど)。(それから、最近、中国でも韓国でも内職は当たり前、、、というか、学習法の第一のアプローチである、、、ということを知り、みんなで大笑いになった。中国の同僚は、学校にも行かなかったという。家で勉強してたそうだ。親が先生だったから。) 少なくとも私自身は、「わからんこと」になれきっていた。授業に行く。教科書を見る。わからん。先生の話を聞く。分からん。問題集を読む。わからん。参考書を読む。わからん。…