January 6, 2015

批判的コメンタリー
新愛国主義宣言 従来の愛国主義は中国信仰である

私はアメリカは20年目になるが、困るのが、自分の名前を言うときだ。う、え、か、わ、、という名前は全然伝わらない。 スペルを見ても、それをどう読むのか、ネイティブはさっぱり分からない。 グリーンカードをもらったときも、それを手渡してくれるオフィサーの人がそもそも私の名前を読めなかった。困っている様子で、あ、自分だと分かった。 中国人の同僚が入社して、紹介されたときに、アメリカ人の同僚が苗字が難しいので、KAZと呼ぶと紹介してくれた。 自分の名前は、う、え、か、わ、、です、4シラブルですと説明する、、、が、実際は、自分の小学校、中学校、高校の同級生は、私の名前を2シラブルで呼ぶ。 WE KAだ。 ニックネームじゃなくて、本当にそう呼ぶ。 「うぇか~」というかんじ。 が、我々は日本文化と思いながら、実は中国の文化に犯されていて、それで、「うぇか~」を「う、え、か、わ」と言わないといけないと思い込んでいるのではないだろうか? 漢字をきちんと読むことが大切だと思われているが、漢字は中国の文化だ。平仮名は漢字を日本化したものだから、これまた日本語だと言いにくい。 本当に日本を大切にするということは、音としての方言、家庭の言語を大切にすることだと思う。 最初に断っておくが、本エッセイは、中国人を批判するものではない。中国文化にかぶれていながら、日本文化と勘違いしている傾向の批判。 例えば日本人は現代国語(「現国」)と称して、難しい中国語を日本語と思い込んで暗記し、それを大学受験などで問う。 例えば、人口に膾炙する、、、などと言う、どう考えても日本語をとは思えない日本語を暗記し、さらに、そういう表現を知らない日本人を教養がないと馬鹿にする。 しかし、今、大切なのは中国の文化まみれの日本文化を勘違いして日本文化と思い込むのではなくて、本当のオリジナルの日本文化とは何かを考えることだと思う。 すると、実は日本文化とは、自分が住んでいる地元の文化、方言の文化、家庭の文化だということが分かる。 グローバル時代で大切なのは、地元の文化を大切にすること。方言を大切にすること。 残念ながら教育制度の中で、中国人になろうとする努力が強すぎ、さらに中国の文化でもって、日本人同士が競争し、進学する高校や大学が決定されているということ。 中国語を大切にしすぎた結果、最近では、田舎でも子供が方言を喋っていないといううわさをきく。 日本人独自の文化が破壊されているということか。

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