July 24, 2012

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やっぱり細部があって、全体が正しくなる

やっぱり細部があって、全体が正しくなると思う。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 日本人の学習やスポーツに関する発想は逆だ。とにかく、おおざっぱにやっておいて鍛える感覚がある。 例えば、とにかく、やってやってやって、勘をつかむ感じ。 でも、そういうやりかたでも物事が上手な人がいるけど、その人たちは、最初っからできる人。でも、その人たちがマイクを向けられると、「毎日の練習が大切です」とか言ってしまう。 それは、きっと、企業秘密を見せたくないということもあるのではないだろうか? すると、普通の人は、とにかく練習をする。できないものを練習しなくても、できない状態が続くので、プロの人たちを脅かす存在にはならない。 私がやっている仕事だって、例えば、統計モデルの階層線形モデルというのがあるが、若い人達がそのモデルのやりかたがわからなければ、私の仕事が安定する。だから煙に巻くような説明をしているほうが、短期的には、自分には得だ。 英語でも、まず細部が大切だと思う。細部、、、が基本だ。 例えば、WANT という表現をどう使うか、、、この基本を、使いながらマスターするのが大切。 でも、どうも、日本の英語の勉強の仕方はそういうのを軽んじているように思える。 コンピュータプログラミングの世界では、細部が間違っていたら、エラーメッセージが出るので、前にすすまない。 英語でも一緒で、個々の音の出し方が違っていたらシラブルを正しく発音できない。例えばGROUPは1シラブルだが、口先の発音で、Rのときは、唇を丸めるなどという指導をしているならば、GROUPという単語を1シラブルで読めない。GU-RU-PUみたいになる。GUとPUを音を弱くよむと、1シラブルになったような気になるが、すると声が聞こえなくなる。声が聞こえないから、「日本人はシャイだ」とか、「言うことがない」となる。 それだと、いつまでたっても戦後が終わらない。 昨日、上江田氏をお教えしたが、英語の音が聞こえるようになったとおっしゃった。聞こえる状態、つまり細部が聞こえる状態で、英語をたくさん聞くと、もっと上達する。 しかし、聞こえない状態で、たくさん聞いて聞こえるようになろうとするのは無理なのかもしれない。  

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