November 3, 2011

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できるだけシンプルに喋る

人気ランキングが9位まで来ました!ありがとうございます。またしても、クリックをお願いします。 英語喉パラダイム的には本質的ではないトピックだと思うのだが、うちで今日本語を5分でも喋ろうと思い、ジーナに、「電気つけてくれ」とたまたま言ったら 便器? と言われてしまったのだけど、どうも、喉発音による日本語は、聞こえにくいようだ。日本語のときは、はっきり、くっきり喋らないといけないと思う(そういえば、アメリカでの剣道の練習中、喉発音の日本語で指示が出るのだが、何を言っているのか良くわからないことがある)。 「5分でも日本語を喋ろうか」と言ったら、 「喋りません。疲れた。」 と来たので、それは、「疲れたので」とか「疲れたから」じゃないかと言ったのだが、そういえば、英語だったら、別に、わざわざBECAUSEをつける必要もなく、単に、I AM TIREDだけで自然だ。 なんと英語とは簡単な言語だろうか? IFだって絶対に必要ではない。 If YOU LIKE IT, GO BUY ITを例としてみよう。 YOU LIKE IT?  GO BUY ITでよい。 I don't like the author. I don't read his books. だって、BECAUSEを使う必要性はない。 IFやBECAUSEというのは学校で習うし、使ってもいいけど、使わなくてもいい。 英語を上達させるためには、シンプルな英語で話しはじめないといけない。それが、まさに、ネイティブの子供がやっていることだからだ。 しかし、人間の脳はすごくて、そのうちに、結構、難しめのことだって言えるようになってくる。 KATSUさんも料理をされているらしいが、私もするほうだけど、魚ばっかり食っているうちに、こうしたらどうだろう?ああしたらどうだろう?と人間の脳というのは勝手に楽しみながら、シンプルなものを複雑化していくものだ。 まずは、SOだけでいいのじゃないかな。つなげる表現は。 よく考えると私自身は、口発音時代から、英語が喋れたほうだが、簡単に言うことが普通だと(無意識に)思っていたので上達したのじゃないかと思う。高校3年生のときに、アメリカからの留学生が1日、訪問してきたときだって、初めての英会話だったが、余裕で喋れた。YOU LIKE MICHAEL JACKSON?とか、IN JAPAN WE SAY MA-I-KE-RU-KA-KU-SO-Nと言ったことを覚えているが、通じていたし、受けていた。簡単な単語を使っていたが、会話というのはそういうものだ。 ジーナは私のことをさして、日本でもっとも、「適当な人(英語ではHALF ASSな人、、、直訳すると「お尻が半分」だが、)」と称することがあるが(特に日本人は、細かいことをすることに優れているにもかかわらず)、それは、例えば、シリアルの箱を開けるときに、どちらの方向から開けるかを無視して、ただ開けるとか、そういうことを指しているのだけど、だからこそ、英語ができるようになったのかもしれない。 英語がシンプルでいいというのは、それは初心者だからシンプルでいいということじゃなくて、実際に、ネイティブは(これは日本語でも同じだと思うが)シンプルに喋っているからだ。そしてその理由は、言語と言うのは、コンテクストのなかで繰り広げられるもので、人間というのは、コンテクストのなかのほんの一部の情報として言語を使っている。 まさにネイティブでも、当然、「以心伝心」をしているので、いちいち、全部、言う必要がない。日本人の多くが、日本人は以心伝心をしているのに、ネイティブはしていないと思いがちだけど、それは、英語力不足の問題だろう。 だから、BECAUSEとか、IFを言わなくても、当たり前のように通じるのである。 日本人が英語を勉強するときに、英文法をまず勉強してからと考えてしまうが、問題点は、英文法というのは、言語において発話可能なもの全てを、網羅していて、その解説の順番も、大切なものからということになっていない。また、日本語に訳したときに、違う訳になる、、、という、非常に恣意的なる理由で、「用法」が10個も15個もあったりする(例はITであり、天気を指すITとか、漠然としたものをさすITとか)。 もちろん、日本人がだいたんに独自の範疇などを生み出したとは考えにくい。元々は、ネイティブが用法を色々考えたのだろうけど、その元の人達は、科学者ではなくて、人文系の文法マニアなのだろう。人文系というのは、シンプルな原理で言語を説明してやろう、という立場でなくて、文化活動の多様性を色々と記録してやろう、解釈してやろう、という立場になりがちだ。目的が文化の記録、解釈であれば、その描写文法は、機能的には使いにくいのではないだろうか? また、その特に日本の英文法には言説の「ねじれ現象」が起こっている。それは、テストを目的としているからだと思うが、「書き換え」などという概念・実践が存在する。例えばだが、 I said […]

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