September 29, 2011

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剣道と英語喉

注:現在は以下のように考えていません。剣道と練習と実践の乖離は意外と少ないです。試合でも、練習のときの基本がなっていないと、面などに当たっても、1本となりません。乖離があるとすると、剣道と、実際の侍の刀の使い方、戦いの仕方だとは思います。 *** 剣道の稽古を25年ぶりに始めたわけだが、初心者の多い第1回のクラスに参加し、その練習方法と実践に必要な技術の乖離にまどわされる。 いや、剣道をやっているとなりのテコンドーのクラスは10人が、2時間、終始、型ばかりの練習をしていた。取り組み(実践)のような練習はしていない。 剣道のプロレベルの試合のYOUTUBE動画を見ていて、色々考えてしまう。まず、想像するに、、、 そもそも、相手から一本とれることがめずらしく、10回ぐらい攻撃して1回とれるかとれないか。 つまり、プロレベルでさえ、大変だということで、野球の打撃における3割打者とか4割打者なんて存在しない。 もうひとつわかるのは、私の場合、1分、2分でばてばてになってしまう。その原因は気合をいれて元気よく打ち込んでいるうちにばてる。 縄跳びをやるとわかるが1分程度でばてばてになる。 だから、剣道でも、気合を入れて打ち込んでいるうちに、ばててしまうのだ。 今度の日曜日に試してみたいのは、打ち込むようなまねをしながら、リラックスの状態をたもち、まず相手をばてさせる、、、ということだ。 そして、相手がふらふらになったところで、「すき」がでるのを待つ。 中学、高校のとき、勘違いしていたと思う。おもいっきり前に進むと竹刀が面に到達するわけだが、そのスピードを上げると面がとれると思っていた。 しかし、距離的に無理だと今は思う。プロレベルの試合をみていて、そんな要領で面を取っている人はいない。たいてい、相手がこてをねらってきて、距離が近づいたときに、面をとるとかだ。相手の動きに連動しないと、一本とれない。 すきがでるのは、意外と、相手が疲れているときじゃないかと思い出した。自分がそうだからだ。 25年前、剣道の先輩たちに教わった、気合いだとか、精神だとか、がんばるとかを信じすぎたからだめだったのじゃないか? だって、うまい人たちは、ぎゃーこら、ぎゃーこら、さわいでないし、やたらに打ち込まない。 もうひとつ、この間初心者を観察して思ったことがある。それは、私自身もそうなのだが 面、こて、胴 を意識しすぎだということだ。 しかし剣道は戦いで、元々は侍があいてをやっつけるためのものだったはずなので、 面だとかこてだとを意識するのをやめ、、、このさい意識は 相手をぶったおすぞ~~~ という態度で臨む。 じゃ、足をたたくとか肩をたたくのか?ということになるが、自然とそうならないだろう。足なんてたたいていたら、面をとられてしまうし、肩たたいていたら相手をぶったおすことはできない。だから自然と面、胴、こてに収束するのじゃないかな?結果としてね。目的としてではなくて。 これで思い出すのだが、中学のときはいわゆる不良?たちに、廊下でたたかれたり、けられたり、思うぞんぶんかわいがってもらったものだが、当時、この要領で剣道をやっていたら(毎日、相手をぶったおすぞ~と思って練習をしていたら)、気迫がうまれて、たたかれなかったかもな~~~などと想像(笑)。 運転だってそうだった。前は、線を意識したり、右を意識したり、左を意識したりで走っていたが、へたくそだった。 今は、「誰にも俺の車にぶつけさせないぞ」という非常に総合的なる意識で走っている。すると、自然と、運転がうまくなったように思う。 あたかも自動車が自分の体であるかのように想像し、道路を自分が走っているように想像すし、他の車も、まるで、人が走っているかのように想像する。 すると自然に運転できる。 面だ、こてだ、どうだ、、、というのを忘れてみようと思う。 英語でも、これが形容詞だとか、現在形だとか考えていたら喋れない。 似たようなものがあるのではないか。 あと、大切なのは、きっと、人には、剣道は気合だとか、精神だとか、礼儀だとかいいまくり、情報戦争を展開する。そうすると、相手は、きっとそれを真に受けて、動きまくり、すぐに疲れてくる。すると、隙が出るに違いない。 俺はこれで行く。 音声で語ってみました(よく考えるとこれが昨日のエントリー用の録音でした、、)。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_09_28_2011c.MP3|titles=kaz_09_28_2011c] 直リンはここをクリック。

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