July 22, 2011

批判的コメンタリー
「内容」とか「論理」とか「主張」は全く要らない

週末英語喉セミナーの申し込みはこちらから。 http://www.doodle.com/ziiicwc489s3mf8e そして、本日の練習です。先日、ヨッシーさんが、喉の根元を鳴らしながら喋るという言い方をされていました。小さいときに喉を鳴らして遊ぶことがあったそうです。私も宇宙人の真似をするときに、そうしていたと思います。あと、やったもんさんが、喉で出す音は「音」で、日本語風の声は「声」だとおっしゃっていました。確かに、ネイティブの出す響きのある喉音は音って感じですね。そこで、そのあたりからヒントを得て、以下の音声ファイルを作りました。お経のように英語や日本語、フランス語、スペイン語をとなえていますが、喉の奥で音を出して(声にならないように???)、やります。そのときに、音がとぎれないようにしてください(日本語でやっているところだと小さいッのときにどうしても切れてしまう~~~)。ではどうぞ: http://www.nippondream.com/file/okyo_07_22_2011.mp3 それでは本日のテーマです。 よく英語の発音が大切だとか、ネイティブ発音が大切だというと、決まって 発音より内容が大切だとか、論理力も大切だとか、主張できることが大切 という方向に走る。 たしかに、内容を持っている人、論理力のある人、主張ができる人というのはいるように思える。しかし、私の考えでは、内容、論理力、主張などは、表面的な「現象」であり、その背後にあるのは、「経験」であると考える。 知識と経験と言おうと思ったが、やはり経験という言葉を使わせてもらう。 というのは、英語ができる人達の世界の話だけど(日本以外か~~汗)、いちおう、3種類の統計モデルのグルー?みたいになっている。 先日、KENJI_Yさんが言っていたのだけど、統計学のことで、KENJI_Yさんのボス?あるいは同僚が、このサイトいいねと言ったのが、なんと、私のサイトだったそうだ。 実際、ぐぐってみると、少なくとも3つの統計モデル名で私の統計学サイトがトップあるいは2位(WIKIに負けるぐらいだ)に来る。その分野の親玉をさしおいて(笑)。 実際、感謝のメールがいっつもくる(英語で)。スコットランド、カナダ、中国、インドネシアとか。 つい先日も、アメリカ人から、あなたのマニュアル参考になりました。ところで私が校正してあげようか?なんてオファーが来た。そのすぐ後に、「もちろん無料でね」とか。なんか、すぐお友達状態だな。 なんか自慢みたいだけど、同じことを長くやっていると、つまり経験を積むと、さすがにつぼ?というかコツみたいなのが分かってくる。 そのコツというのは、統計モデルも色々あるけど、結構、親戚関係みたいになっていて、このモデルとこのモデルは実は兄弟でほとんど同じだとか、このモデルとこのモデルは従兄弟だという感じの関係がある。 長い間やっていると、さすがに、その関係が分かってくる。 しかし、それぞれのモデルの専門家は、独自の言葉使いをするので、そのことを理解していても、あまり丁寧にそのことを教えてくれない。 例えばだが、教育計測のラッシュモデルは、どう考えても、たんなるLOGISTIC REGRESSIONモデルなのだ。 それは当たり前すぎるほどのことなのだけど、当たり前すぎるのか、あまり言わない。 でも、私は、思わず、言ってしまう。そう表現すると、LOGISTIC REGRESSIONを知っている人にラッシュモデルを説明しやすいと経験で分かっているからだ。 またラッシュモデルはLOGISTIC REGRESSIONです、、、ということだって、あまりに当たり前すぎて、それを言うこと自体が恥ずかしい感じがするので、本当の専門家は言わない。 それ言っちゃうと、じゃ、あなたの開発したソフトウェアを買わなくてもSPSSで出来てしまうってこと?、、と下手するとなっちゃうというのが原因かもしれない(実際は、そこまではいかんと思うが、、。実際、特化したソフトウェアはかゆいところまで手がとどくような機能が満載だから、、、)。 統計モデルの名称にかなり問題がある(問題があっても直せない~~名前がないと困るから)。例えばだが、HLMを授業でとった人は、マルチレベルのLOGISTIC REGRESSIONのことをHGLMと呼ぶことがあるのだけど、その呼び方自体、微妙に違う、、、(というのはHLMも究極的にはHGLMだから、、、わけわからんでしょう?)。しかし、ま、そう読んでおいたほうが、便利だということが言える。 ま、今回のエッセイのポイントは、経験が大切だということで、経験を積むと、難しく思えるものが結構シンプルに思えてくるのです。 で、内容とか、論理とか、主張はいらないのです。 ある分野(なんでもいい)で経験があると、内容がどうのこうのといきどおらなくても、自分の経験から物が言える。 論理的に、、、なんてかっこつけなくても、自然と論理的になる。 主張しなくても、専門的なことから発言するわけだから、自然と周りの人が聞いてくれるのです。 ただし、これは仕事の上での話です。日常生活で論理がどうの、内容がどうの、というような話はいらん(日本も同じだと思う)。英語だと日常生活でも論理的にならないといけないと思っているのは勘違いで、英語教育に関わっている今のオピニオンリーダーの人達が、かつて留学したときに(今もだと思うけど)、英語が通じなかったこと、聞けなかったことの落胆、疎外感みたいなのが根底にあると思います(私も口発音時代は疎外感を感じていた!)。だから、特にアメリカにかすかな「落胆」、「がっかりの気持ち」があるので、すぐに「国際時代の英語」とか、グローバルな英語とかの方向に行ってしまいがち。 今日書いたのは私の経験で、たまたま専門知識みたいだけど、学術的でなくてもよくて、ダンスだとか、サーフィンだとか、リーダーシップだとかなんでもよい。 経験、経験って何回もここで言うけど、きらびやかなものじゃない類の経験。OLSの結果と、HLMでランダム効果を求めないモデルを走らせたら結果がまったく同じになったとか、そういう泥臭いレベルの経験で、え~、OLSでもMAXIMUM LIKELIHOODでも、ある条件下では同じ結果になることがあるのか~、、、って感じの本当に泥臭い、地面に近いレベルの体験的経験のこと(専門家には軽蔑されそうな類か~~笑)。 ま、このことでHLMと、OLSの関係が分かる。OLSとANOVAの関係も知っているので(同じじゃん)、そこからANOVAとHLMの関係が分かる。一度、HLMでSEMをやったので、SEMとOLSの関係、SEMとANOVAの関係も分かってくる。 決して必死こいて文献をあさったとか、そういうことじゃなくてね。 ま、料理に例えるなら、味噌汁と親子ドンブリって絶対に違いますね。でも、ある日、ふと、味噌汁に卵落として、なんとなくそのままご飯の上にぶっかけたら、味としては、親子ドンブリと同じっぽくなった、、、だから誰がなんといおうと、味噌汁と親子丼は、従兄弟だ、、、みたいな感じです。大阪の「料理の東大」の調理師学校の先生がなんといおうと、、、みたいな。 グローバル経済っていうけど、大切なのは、自分自身の中にあるものじゃないかと思います。体験みたいな、経験みたいな。 そういえば、統計モデルに関して英語で喋るならば、えんえんと喋れるように思います。 でも好きかといわれると困る。実際は、人に教えて分かってもらうとうれしいとか、巨大なデータをそれで処理して、簡単な情報にまとめたら、ちょっとだけうれしいとか、そういうのはある。 なぜ、今日、これ書いたかというと、 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/082/houkoku/1308375.htm で日本人の英語を強化するには、生徒にグローバルの世界でいかに英語が大切かを分からせるとあり(提言2)、「グローバルな夢を与える」とある。そんなことしたら、英語ができたら日本から出てしまうではないか。 私としては、日本にいながら、自分自身を見つけ、経験をつんでいくのが良いと思っているからだ。英語喉だったら、日本にいながら、ネイティブ化できる(アメリカ人になるということではない。無理だしw、、日本人としてガイジン化するということ=本来の自分を取り戻すという意味)。 経済が悪いと職がないので、経験が積みにくい世の中だ。それなら、とりあえず、英語喉で経験つんだら? きっと花開くでしょう。  

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