May 17, 2011

(募集終了しました)英語喉スカイプセミナー1時間コース 1名さま募集 この土曜日

今週末の土曜日、日本時間の夜7時、、、英語喉のスカイプセミナーです。時間は1時間で、料金は100ドルです(クレジットカード決済のみにて失礼)。 募集はとりあえず1名様のみ。 日本人時間5月21日(土曜日)夜7時 (アメリカ東部時間で同日朝6時) 以下で登録してください。 http://www.doodle.com/wv569kh95gptdxhq  

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分析方法としてのコピーイング(逆コピー?)

さて、PROJECTXさんの音声を先日聞き、いつものように自分でもその音を真似し、そのときに感ずる体感に基づいてアドバイスをする、、、ということをこれまでやってきたが、特にPROJECTXさんの音声の場合、ご本人に、押し殺しているような声になっているかどうかわかりにくいというコメントもあったために、なるほどと思ったのだが、この指導法は役にたつように思う。 私が、まず喉実践者の発音を忠実に真似る、、、そうすると、私が喉や口で感じる体感で、あ、こうやっているのだなと分かるし、それに関して指導ができる。 これは、天満さんがやっているコピーイングに似ている。天満さんのコピーイングは、ネイティブのまねを学習者がするコピーイングだ。 すると、私がやっているのは、逆コピーと呼んでいいだろうか。 私自身が、学習者、実践者をコピーすることで、何をどうすればいいかをアドバイスできる。 しかし、考えてみると、これは当たり前の手法だな。ダンスの先生とか、「あなたは、今こうしているけど、これをこう直してね」という風に指導してくれる。 学校の勉強にも利用できるだろう。A君、君がこの算数の問題を間違ったのはね、ここでこう考えたでしょ。そこをこうしたら正しい答えにいたったんだよ、、、と。 これは、学習者がなぜ間違っているのか、なぜ迷っているのか、何が問題なのかを教師が確実に理解する必要があるのだ。 しかし、なぜ英語学習において逆コピー指導法がこれまでなかったかというと、それは、根本的なるパラダイム・思考回路に問題があった。その思考回路とは、、、 1.日本人は絶対にネイティブになれない 2.近づくことはできる 3.指導者も発展途上の人である。完璧でなくともよい。 4.指導者は英語発音をさらさなくてもよい。 5.英語指導者は必ずしも英語ができなくてもよい この考え方は、先日YOUTUBEで見た上智大学の先生の英語講演でも明らかだった。先生は、いかに、日本のある高校の先生が、生徒よりも英語ができない可能性がありながらも、生徒から慕われていて、生徒がその先生のように英語を喋りたいといっている、、、という話をされていたが、これは、上の5にあたる。 これまでの教育パラダイムでは教師自体が英語ができなくてもよいということになっているのである。 しかし、逆コピー指導法が可能となったのは、日本人であっても、ネイティブ同然レベルになれるということが英語喉パラダイムによって分かったからである。 そして、英語ができて、気づいてみると日本人以外のノンネイティブは、ある程度英語を勉強したら、みんながネイティブみたいに喋り、書き、読んでいるのだ。もちろん、なまりはあるが、全く問題にはならないし、そもそも、なまりを直す必要がないし、また直そうと思えば、直せるけど、面倒だから直さないだけである。 これまでの日本の教育パラダイムは、教育が生徒のためでなかったのだと思う。教育は、先生の就職のためだったのだと思う。 いや、全てが就職のためだったのではないだろうか? すでに就職している人は、就職を求めている人に、就職を紹介できるかもしれませんよという暗黙の了解でもって、一緒に酒を飲み、楽しい時間をすごす。就職を求めている人は、たぶん、この先生についていれば、何か紹介してくれるかもしれないという可能性を望みながら一緒に酒を飲むと。すでに就職をしている人でも、そのうち、いい大学とか、あるいは都会の大学に引っ張ってくれるんじゃないかとかね。 もちろん、酒を飲むから悪いといっているわけではない。いつかひずみがくるだろうということだ。 その制度は、生徒も先生について言っていれば、就職にありつけるという可能性があったから存続したのだろう。しかし、そういう前提が崩れた今、教育は、本当に結果をださないといけなくなった。 しかし、気づいてみると、やる気と真実のメソッドさえあれば、自分で勉強できるというのも確かだ。 学校の授業とか自体が邪魔におもえてくるかもしれない。 もう20年以上も前の話だが、そういえば、私自身は、高校や大学の授業は、どちらかというと邪魔だったな。 だって、大学では一冊の日本語の本で、英作文の方法みたいな本を1年かけて、読むんだから、、、。自分でよめば2時間で読めるのに。 そして、それが、英文科の必修の授業だったのだ。 やっぱり、それって、前の日、酒飲んでてもできる授業スタイルってことじゃないのかな??? あの本自体、実際教えている先生たちが書いたものだったから、英文科生の全員が購入すると、宴会代ぐらいになったのかもしれない。

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