January 28, 2011

言語の監獄

あり地獄が うんこすることを発見した10歳の少年に関して報道があったし、またシチズン・オブ・ザ・イヤーという賞をもらったそうだ。「英語は喉だ」ではダメのようだ(笑)。新聞社の友人にコンタクトしたけど、「もう英語しゃべってへんねん」が返事だった(涙)。 さて、前から気がついていたことがある。それは、NHKを見ていて、ニュースで、一般の人にマイクが向けられると無難な短い返事しか返ってこないということだ。ただ、たまに子供か、あるいは漁師さんとか農家の人が、やや複雑度の高い返事をすることがある。一方で、これも前から気がついていたのだけど、アメリカ人にマイクが向けられると、大量のコメントが返ってくる。 この違いはなんなんだろうか? 思うに、喉発音は人間にとって自然な発声なので、思ったことがストレートに出てくるのに対し、口発音になると、もはや、型どおりの表現しかできなくなるのではないだろうか? 朝日新聞で、「孤独」というテーマで記事が出ているが、そのなかで、ある男性が、なくなってしまった妻に、「感謝の言葉がいえなかったが残念だとおっしゃっていた。 それは、口発音になってしまった場合、すでに、言えないことがでてくるのではないだろうか?喉発音の子供のときは、ママ好きとか、パパ好きとか言っていたのではないだろうか? 喉発音のアメリカ人は、日ごろから、アイラブユーということを家族の中で言っている。兄弟姉妹に対しても。しかし、口発音となると、表現が全て、盆踊り的、型どおり、ラジオ体操的になってしまうのはないか。 あ、そうですか。わかりました。そうですね。面白いですね。さすがですね、、、とか。 喉ゆるゆるでラフに喋れるのは、同級生だけである。皆さんも経験があるのではないだろうか。同級生ならば、自由に話せる。 よく、欧米では、女性に歳を聞くのは失礼だという。しかし、実際のところ、歳は聞かなくてもだいたい分かる。だから聞く必要がないから聞かないのだと思う。日本語で聞こうと思うのは、年齢の違いで言葉使いを変える必要があるので、知りたいと思うこともあるのではないだろうか?言葉使いに気をつけなくていいのは、同級生だけだからだ。 本音と建前とか、うちと外という概念があるが、あれは口発音と喉発音で説明できるのではないだろうか?一度、スーパー口発音を見につけると、本音を語ることが難しくなるのではなかろうか。口発音自体が敬語のようなもので、かしこまったスタイルであり、心に浮かぶことをまず、口発音の言葉に訳してから話すので、感情などがストレートに出ないのではないか? 「ませた口をきく子」という表現があるが、あれは、子供が、ちょっと喉発音的な発声で、考えを述べたりすることを指しているのではないだろうか?子供なので、スーパー口発音にならない。だから、感情や意見などがストレートにでることがある。それを指して、大人が「ませた口をきく子」と言っているのではないか? 広島でも、挨拶運動というのがあって、機械的なかんじでとにかく挨拶をせよ、、、ということを訓練を受けたが、やはり田舎なので限界がある。基本的に、学校の先生が町内のおっさんとおばさんで、カープファンだったりするので、どんなにがんばっても、従属的なる関係になりにくい。「昨日、カープ勝ったのお」で授業が始まったりするからだ。 だから、日直の言う表現、「気をつけ」、「礼」なんかでも、それほど音が切れていない。5時ぐらいに流す「下校の時間になりました。用のない人ははやくおうちにかえりましょう」というようなアナウンスでさえ、それほど、口の奥で切れていない。 言語の監獄は表現にも及ぶ。今、NHKで歌の番組をやっているが、 受験だけどがんばってくださいとか、がんばれとか、のりきっちゃえば、、とか、あせらないで、、、とかそんなのばっかりである。 英語を第2言語とすることで、同級生でなくても、普通に喋れるようになる可能性がある。あ、そういや、がんばれとか、日本語になりにくい表現って、やっぱり英語にはないのだな。  

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