December 2, 2010

日本語論2

今朝、自動車で、IPODじゃなくてNANOだったけ?を自動車のステレオにつないだら、NANOがなにやら、録音メッセージみたいな感じで喋りだした。ロックとか、クラシックとかいった単語を言い出したのだけど、それはNANO(音楽再生機の小さいやつ、アップル)に、録音されていて、ちょうど小さいスクリーンに映っている単語などを読んでいる。  で、その瞬間、え?なんで日本語で言っているのと思った。なぜ、そのNANOが使用者が日本人であることが分かったのかな?すごいな?もしかしたら音楽をダウンロードしたPCに日本語のフォントを入れているかな?とか思った。 しかし、次の瞬間、私が聞いていた言葉は英語だったということが分かった。英語を聞いていたのに、10秒ぐらい日本語を聞いていると勘違いして上のことを考えていたわけだ。 脳って面白いと思う。おそらく私は英語も日本語も同じところに情報が蓄えられているのじゃないかと思う。特に、名詞だけをぼーと聞いていると、それが英語だとか日本語だとか意識なしに、脳が処理をしているのだろうか???たまたま、英語の名詞がゆっくり読み上げられていたので、なぜか、日本語だと脳が決め付けてしまった。よく日本の駅のアナウンスにある感じなので、そう思ったのだろう。 *** さて、本題に入る。  日本語というのは、音声による伝達能力、効率に限界があるのだろうか? テレビはリビングルームにおいているのだが、音をつけたままで、ベッドルームで寝転がって、なんとなく、ニュースを聞いていることがある。ぼーとしていても、英語なら、理解できる。というか、ぼーとしていても、意味があちらからやってくる。 ところが、朝、NHKニュースをつけるとよく分かるのだが、日本語は、スクリーンを見ていないと頭に入ってこない。日本人が日本人向けに、日本語で放送しているのにもかかわらず、NHKでは字幕のようなものが写る。そして、日本語を聞きながら、そして、字幕のようなテロップを見ながら、眼と耳の両方で、やっとのことで日本語を理解する。 もちろん、入ってくる時点での日本語は分かるが、シラブルが多い言語なので、文となり、何秒にも1文がまたがると、さっき聞いたことを忘れてしまう。 あと、日本のテレビ番組を見ていると、やたらと繰り返しが多い。例えば、専門の人が、XXXはYYYでZZZです、、、といったとすると、司会の人が、必ずといっていいほど、 XXXはYYYでZZZなんですね? と確認する。 バラエティ番組で何かを紹介しているときも、 それではここでまとめてみましょう、、、と言って、必ず図などが登場する。 日本語は、情報伝達の効率性がとても悪いのではないだろうか?音声による伝達性が。 と思うと、ピンと来ることがある。 小学校、中学校と、朝礼などで校長先生が喋りだすと、女子生徒がばたばたと貧血で倒れだすのだ。 あれは、日本語が分かりにくいのでぼーっとしてしまうのではないだろうか? あと、日本人は日本語が分からなくても、納得するところがないだろうか?そんなもんだと思っている。例えば、終戦のときの、当時の天皇陛下の放送は、今聞いても分かりにくいのだけど、日本人はなんとなく、言葉を聴いて、分からないことがあっても、そんなもんだと思っている気がする。 日本語は分かりにくい言語なのかもしれない。音声的には。多数のシラブルを必要とするので。 最後に、最近、外国人の日本語をネタにしたりする漫画などがはやっているが、よく日本語では鉛筆を1本、2本と数えるけど、鳥だと1羽、2羽だといって、へーと感心したりするけど、英語ではそんなに違う??? 自動車だと、1CAR 2CARSという具合にCARつけるじゃん。これは1台、2台と一緒じゃない? 「ダーリンは外国人」だったかな、鳥のときは1羽、2羽で、肉の塊だと1個、2個となると書いてあったと思うのだけど、英語でも同じじゃねーのかなあ??とか思う。 傲慢で言うのではないが、英語が当たり前にできると、英語ができない人の外国文化解釈が気になってしかたがない。

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