November 4, 2010

才能の科学を

ただの高校生のブログというのを発見しました。英語喉について書いてくださるとのこと。追いたいと思います。聞き取りはだいたいできるようになったそうです。GOOD JOB! http://watashityping.blog108.fc2.com/ さて、本日は才能の科学について書きたい。朝日新聞のHPで読んだのだけど、大阪の知事さん、橋下さん、が韓国の英才教育について視察をされたそうです。 私は英才教育に関しては、あまりいいものとは思いません。まず、よく、昔の一高?はよかったとか、戦争前はエリート教育があっただとか色々書いている人がいますけど、自分の言いように解釈しすぎというのもあるけど、結局、自分が偉い、賢いと言いたいのではないかと思われる節あり。 それから、グローバル時代の才能って、人じゃないと思う。エリートの人がいて、馬鹿がいるって感じじゃない。じゃなくて、人はそれぞれ個性、才能を持っていて、それが、グローバルのニーズに合うかどうか?って感じに思う。そもそも、そのエリートも本とか、試験で選ぶとすると、ますますグローバルニーズから遠ざかる。 さらに、そもそも、今、グローバルで活躍している人達は、学校で学んだことがよかったとか思っていないのではないだろうか?まあ、極端な例が、ビルゲーツさん。 学校、試験制度、資格制度というのはかなり限界がある。 学校のどこを変えるかということに関して、エリート高をつくる、、、というのじゃなくて、もっと、現実にそったカリキュラムをつくるとか、何か学習者が自分でつくりだすとか、つまりプロジェクト的なことをしたらよいのではないだろうか?何かに取り組むなかで、自分の才能を自覚するというような。 英語喉をやる前はよく分からなかった。アメリカ人がすごいとか思ったことがない。しかし英語喉をやり、英語が本当にわかるようになり、そしてアメリカ人との距離が近づいて、しみじみ感じること。 それは、人によって、強みの点が違うということ。 私はどちらかというとデータをもってきて、そこから色々といじくって、分析可能にして、分析するというのが、楽なのです。特に量的な情報がよい。プログラミングでこうかな、ああかなといじくりまわすのが、楽。特にマクロ的なプログラミングで。こんなときは、こういう統計テストを使おうとか、あれ?この場合はどうだろう?と思って、調べて、あ、これでいこうとか。その場合のASSUMPTIONはこうだなとか確認したりとか。 で、先日、テキストを読みながら、そこから大まかな設問項目をつくるといういつもの仕事と違うのをやったのだけど、苦しみながらやった。で、そこで、アメリカ人の助っ人に助けてもらったら、その人は、「私はこういうのが得意」と言いながら、すんなりとスピーディーに仕事をこなしてしまった。テキストをちゃんと理解して、大まかなグループ分けをして、その範疇名を考えてくれた。仕事もむちゃ速い。 私が好きというか、楽なのは、アルゴリズム的な仕事。この人が好きなのは、乱雑に思えるデータから意味を考えたりして、理解すること。 あと、一緒に働いている人で、どっちかというと私に似ているけど、データ分析の結果、結局、政策的にはどうなのか?という結論を導く名人がいる。だから、結果が出て、う~ん、どうやって理解したらいいのだろう、政策提言的にはどういうことか?と疑問が出ると、彼のところに行く。するとすんなり答えがでる。 あ、私のシカゴの指導教授は、名人芸と言えるほど、統計分析の結果などを解釈するのが得意だった。Xの係数がPOSITIVEだっても、NEGATIVEだっても、どっちでも、解釈ができる。 しかし、こういうのは、性格とかだと思う。学校で鍛えるものというより。才能というのは、性格みたいなもの。 普遍に存在する性格みたいなもの。 私にとって、英語発音の指導と、私の好きなヘビメタと、あと仕事でやっているデータ分析って全部同じだ。 すべて、アルゴリズム的なものだと思う。何か、少ないルールに基づいて、複雑?なパターンを作り出すみたいな。 ヘビメタだが、これは中学のときに、当然、ラウドネスの洗礼を受けた。AC/DCとかVAN HALENとか、色々だ。 どれもこれも、ギター演奏などがアルゴリズム的なのです。が、が、が、が、が、がって感じで弾いていって、ソロのところで、炸裂するみたいな。それも、まあ、やってみようって感じのソロ。まちがったら録音しなおそうみたいな。しかし、偶発的なメロディーがよかったりする。意図しなかったとこに発生した雑音とか。 これが私が仕事で使うSASプログラミングとか統計モデルによく似ている。 あと、統計モデルも、まずアルゴリズム的に、何か現象が起こるメカニズムを式に置き換えて、変数を非常にFORMALISTICに考えて、で、が、が、が、が、がって感じで結果を出す。 英語喉も同じに思える。この2ヶ月間教えているけど、セミナーのたびに、非常にシンプルなルールを紹介し、が、が、が、が、がって感じで教えて、結果をだすと。 そういうのは、才能とかじゃなくて、性格というか、何が好きか?ということ。いや、好き嫌いの問題じゃないと思う。 好き嫌いが問題なら、仕事せずに、遊びたいに決まっている。 やらなければいけないのなら、何が比較的楽かというのが大切じゃないか。 日本の教育制度の、文系とか理系とかの分け方とか、普通科と工業科とかのわけかたには、無理があるのではなかろうか? そもそも、なんでもかんでも暗記になってしまうけど、暗記の得意な人なんて存在しないのでは?ただ、テストすりゃ、誰かがいい点を取るので、その人達が暗記名人になるかもしれんが、それは必ずしも、暗記が得意ということじゃない。 うんこをしたら、誰かがもっとも長いうんこをしたということが、必然的に生まれるのと同じだ。 だから、暗記とかを元にじゃなくて、何が楽か、何が性格かに基づいて、教育制度を再編したらどうだろう。 自由に途中でコースを変えたりとか、そういうのがいると思う。 あと、何が好きか、何がむいているかを考えるとき、何がその人の弱点かがヒントになるのではないだろうか? 私のむいているのは、シミュレーション的(まあ、適当にやってみるか)とアルゴリズム的なことなのだけど、いつも、小さいときから、物がなくなったりしていた。整理が苦手だから。あと、人に、着く時間などを告げるとよく間違う。1時間ちがったり、1日違ったり。 そういう弱点と、向いていることというのは相関があるように思える。 あと、どんな風に、教育を変えるにしろ、まずは、それを主張する大人が、子供にさせることを6ヶ月ぐらい体験してみるというのがよかろう。ランドセルせおって、小学校に通うのだ。 例えば、え?英語ノート?じゃあ、大人がそれ使って6ヶ月小学校に通ってみよう。 子供にいいことは大人にいいに決まっているから。  

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