October 31, 2010

週末セミナーで学んだことの報告

昨日、土曜日は、お一人のかたに喉を教授した。セミナーの最初にテレビを見てもらったら、聞き取れないということでした。2時間後に見てもらったら、「はい、聞き取れます」とおっしゃって、実際に、口に出してシャドーイングできておられた。 最近、楽勝です。この2ヶ月ぐらい思い出したように、教えていたのです。最初のころは、発音は確実にネイティブレベルまで行くけど、1)聞き取りは、う~ん?という人が少しだけ存在した、2)なんとなく、信じ切れていない感じでお帰りになる人もいたかもしれない、、、? でも、最近、2時間で聞き取りがOKになるのが普通のように思う、、、というか楽勝に思えるようになった。ネイティブ発音になるのは、楽勝というより、当たり前になった。 不思議なこと。前は、PHDを持っている人は、口発音が抜けにくいと思っていた。DC付近には、高学歴のかたが多い。だから、あれ?私の中学時代の友人とかで英語知らなくても喉発音は楽に出来るのに、なぜ?と思っていた。 しかし、ここに来てPHDだろうが、PHDじゃなかろうが、聞き取りの向上率(および発音)が、当たり前のように2時間で成功するようになった。 その秘密は、私が皆さんとコメントを交換したり、あるいは皆さんが書いていることを読ませてもらったり、あるいは、実践者のかたが音声UPされているのを発見して、私が勝手に音声指導と称して、コメントしているあいだに、いくつかのことが明らかになったこと。 何回も書いたけど、特に効くと思うこと 日本語は早く、英語は遅い言語だということを、洗脳するぐらいのいきおいで理解してもらうこと。体で感じてもらうこと。手拍子を使って。昨日は、丸めた紙をボールのように投げながら、英語を喋ってもらった。MY NAME IZ という感じで言うときに、シラブルごとに紙の塊の空中に投げてもらう。日本語では無理。ヒラガナに合わせて、これをするのは無理。 さらに昨日は、会場(アパートのラウンジ)のソファーから、テレビのところに行くまでの間に(テレビを見てもらって聞き取りができることを確認してもらう)、私が、自分の歩くステップに合わせて、英語を喋ってみせてみた。 ここまでこの方法に固執している理由は、以前、一人のかたが、セミナーの後で、「まだシラブルの意味が分からない」と、メッセージをくれたこと。また、お一人、「う~ん、まだよくわからないけど、修行ですね」とメッセージをくれたのが、逆に悔しいと思ったこと。 以前、ずっと以前、XXさんの掲示板を見ていたとき(5年ぐらい前)、そこでの交わされているコミュニケーションは私には異常事態だった。学習者「これはどうやったらよいでしょうか?」、XXさん、あるいは先生的な立場の参加者さん、「こうこうこうしたらいいでしょう。」、学習者、「分かりました、やってみます。何事も修行ですね。」  思うに日本の「先生」たちは、生徒が修行というか、自習というか、頑張ることで、喜びを得ている。結果じゃなくて。私も高校教師のとき、その授業で分からせるというより、家で勉強させる、やる気をつけさせる、やらせる、ということが教育の目標だという感じの文化があったと思う。だから、私自身、授業に行ったとき、その授業の寸前に、生徒が、他の先生の授業の予習をやっていると、ちょっと腹がたった(笑)。といっても、彼らは、人のノート、訳を写しているだけだったと思うが。教師として、生徒が子分のように、自分のクラスのために、授業外で何かをやっている、、、というのが、なんとなく教師の楽しみ、、、という感じの文化があったと思う。 生徒が、その授業のとき、授業の瞬間、先生が説明した瞬間にできる、分かる、とかじゃなくてね。 そういえば、そうでしょ。日本の授業。先生が教える。分からん。問題集を見る。分からん。今度は参考書を見る。分からん、、、塾に行く、、、 って感じです。なんか、教師の目標が生徒に勉強の習慣をつけさせること、、、ってことになっている。でも、それって、生徒が40人ぐらいいて、もう教育活動が成り立たないという現実があり、もう授業なんてやっても無理だから、生徒のせいにするってことですよね。すると家が勉強の場所になる。すると、その家の親の考えだとか、収入レベルが(塾に行かせることができるので)、教育結果に返ってきませんかね。 もう一つ、とても効くと思うことがある。それは、英語にはッや伸ばす音がないんですよ、、、ということを指摘すること。それも、受講者さんが、そも間違いを犯したときに指摘する。そして、音が首の根元で継続しているのが英語だと指摘する。 <特に、Rのときに、首の下あたりをごろごろと鳴らすのを忘れる人が多いが、これは、音を伸ばして、Rを発音したと思っているということにある。つまり頭では分かっていても、音を伸ばすだけでRを発音したと思ってしまうということだ。これを指摘している。RがあればRの情報を相手に与えないといけない。これこそが基本の基本だ。音声学者がイギリス人はRを発音しないと宣伝しているが、あれは、イギリス人のRが日本人が聞くと、日本語の伸ばす音に聞こえると言うだけの話で、イギリス人はイギリス人なりにRを発音している。前にNURSEと言っても通じないとおっしゃったかたがいたが、ナーと伸ばすだけでRにならないのが原因だ。> これを知った上で英語を聞くと、やはり首の根元で継続している音に耳を傾けると思うんです。 さて、昨日は1人だったんですが、お陰で、ゆったり、まったりと、国産ネイティブ生産を楽しみました。でも3人ぐらいが一番かも。というのは、受講者さんが、他の人の英語を聞いて、学ぶというのがあるんです。例えば、BOOKっての、どうしてもブックっていってしまうけど、2,3回言っていると正しい音がでる。他の人が不成功していて、成功した瞬間が聞けるのって、面白いしためになる。 今回、声が大きくする方法、これいけるかもと思ったことがある。それは、日本人は周りに人がいると声が小さくなる。だけど、人がいても、大きな声を出してもいいだということを実感すること。 で、一回、大きな声で声を出してみるんです。人がいても。一回、2回やると、ふっきれる。今回実は、これは瞬間的に思った方法なので、ちょっといい加減にしか、指導しなかったので、来週は(3人)もっと、ちゃんと押してみる。 プールに入るとき寒いですよね。でもザボーンと浸かってしまうと、な~んだ水がぬるいじゃんとなる。 それと同じ。周りに人がいても、一回、大きな声を出してしまうと、なれる。 1992年、1993年、と私は京都の出町柳に住みながら、京橋の高校で教えていたので、京阪電車に乗っていた。夜の京阪電車の特急は、サラリーマン戦士達が疲れて寝ているので、シーンとしている。あるとき、アメリカ人の横に座ったので、喋りだしたのだが、シーンとしているのに、彼は、車両一杯に響くような声で話しはじめて、私はちょっとびっくりした。 まさに、おいおい、空気読め、、、という感じだったが、車両には、大きなネイティブ声と、私の中間ぐらいの音量の声(遠慮がち)が響いていた。英語で。 しかし、西洋の文化圏においては、公の場所でひそひそ喋る必要はないのである。 で、今度のセミナーでは、この考えを押してみたい。ラウンジで教えていると、アメリカ人が入ってきて、他のソファーに座る。 その瞬間に日本人は、声が小さくなる。 その瞬間をとらえて、声を大きくやってもらう。1,2度やれば、なれる。バンジージャンプというのがあるが、思いっきり飛ばないといけない瞬間があると思う。 さて、最後に、最近教えていると、日本人が外人っぽい感じになる瞬間がある。そのときに、よく、「あれ?外人っぽくなりましたよ」ということがあるが、それは言わないほうがよいのかな?とういのは言うと、また急に日本人っぽくなるからだ。 これはどうしたもんだろう。 しかし、外人っぽくなった瞬間、私の主観かもしれないのだけど、男性も女性も見かけがかっこよくなる。 主観かもしれないが、本当だと思う。なんとなく顔の緊張がとれて、大人っぽくなる。そして、なんとなく、洋画とかに登場する外国人の俳優や女優の雰囲気が出る。 皆さん、どう思う?洋画などを見ていると、そんなにかっこうよくない俳優さんでも、なんか、貫禄がある感じしません?堂々としているような? これは前、5人、7人ぐらいで教えていたときには決して起こらなかったことだ。3人ぐらいで教え始めて、起こり始めたことだ。 不思議だが、これはメカニズムがあると思う。

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