October 26, 2010

茂木健一郎氏の英語

さて、今朝、ジーナに、ハイチでコレラが発生したんだってと言ったら、どうも、ハイチはアルプスの少女ハイジに聞こえる。コレラのほうは、トヨタ車カローラに聞こえると指摘を受けた。 コレラは、シャツの襟に当たりするカラー+ラだそうだ。英語喉発音記号で書くとK-A-l/l-E_r_/r_-u_ ハイチはH-eI-T/d-I だそうです。 発音ができないということではなく、違う音で読んでいたということですね。自分としては、綴りをそれなりに読んだだけなのだけど、、、。難しげな発音のなかに、知っている単語が音として含まれているのを発見するのは楽しいです(襟に値するタンゴがコレラの中にあるとか)。 ちなみに、昨日、中華料理屋に行ったら、アメリカ人のウェイターが、ビールの名前で、カリンがあるという?ジーナが、カリンにしたら?というのだが、なんのことやらわからない。 実は日本のビールのキリンがカリンと発音されている。正確にはK-E_r_/r_-i_-Nだろうか。 さて、本日のテーマの茂木氏だが、以下の場所で英語の達人として紹介されていた。 http://ee.asahipress.com/interview/index.html そこで、どんな英語を喋られるのかなあと思ってYOUTUBEを見たら、以下があった。 http://www.youtube.com/watch?v=7HU05V9HDHo&feature=channel ありゃ、全然、努力していない日本語英語だなあと思った。カタカナをそのまま読んでいるようだなあと思ったのだが、非常に不思議なことがある。英語の達人とされている茂木氏なのに、なぜ全く努力をしていない、完全なるひらなが英語で喋ってらっしゃるのだろうか? これは、外国人の英語に慣れていないネイティブは、茂木氏の英語を理解するのに苦労するだろう。  これだけ長く喋れば、例えば、1秒ぐらいは、ちょっとネイティブ英語に近いところがあってもよいだろう。あるいは、長い間、英語を勉強されていれば、1秒ぐらいは、そういう部分があってもよいのではないかと私は思った。 しかし、もしかして、ご本人としては、それなりに努力をされているところがあるのかもしれないが、それらは、全く弁別的要素ではないのである。 例えばREALLYと言うとき、おそらく口の中を詳しくみていけば、舌の形が違っているのかもしれないが、喉が緊張していて、口発音になっている場合、舌を曲げようが、まっすぐしようが、音に弁別的要素として現れないのだ。 もしかしたら、アクセントの位置だけ見ると100%といってぐらい正しいのかもしれない。しかし、アクセントの位置は、ネイティブが英語を理解する上で、全然、弁別的要素でないのである。 だから、聞いていて、全然、全く、ネイティブの英語を真似る努力をしていない英語だという感想を私は得た。 これは決して、馬鹿にしているわけではない。日本人には2種類の英語がある。 一つは英語喉英語だ。これはネイティブに近い。世界の人達が理解できる。 二つめは日本語英語で、これは少なくとも、日本人と日本に住んでいる外国人には通じるだろう。 ある意味で、両方とも、意味体系であり、片方が、より片方よりも優れているとは言えないかもしれない。 <ただし三つめの英語がある。それは従来のアプローチを本気にして、口をくちゃくちゃやりすぎて、日本人にもネイティブにも通じくなってしまった英語だろう。ただし、それも喋るのが難しすぎて使っている人は皆無だと思うが。> ただ、私は思ったのだが、茂木氏は、おそらく英語の音が聞き取れていないだろうということだ。語彙の力とか文法の力を駆使して英語を理解しようとしてらっしゃるのではないかと思う。 これは主観の世界の話なので本当だとは思うのだが、どうなのだろう。ボンボンボンという感じの英語をダダダダと喋っている人には、ボンボンボンという感じの英語が聞き取れないと思うのだ。 私は5年ほど前に英語喉に出会い、これで日本は変わると思った。3年前に出版されて、変わると思った。しかし忘れていたことがある。 それは80年代のころから勉強をしていて、英語があまりうまくならないなりにも、近似値的アプローチで、それなりに、英語が達人だと思われるレベルに達した人が日本には、何千人もいる。 その何千人の人達の英語勉強に関する考えが、今、日本中を席巻しているし、今後50年ぐらいは根強く残るだろう。 私自身、英語喉以前、アメリカ英語ならば、100%理解できるほどに達し、そして英語喉でもって、どんな英語でも聞けるようになり、また発音のほうもできるようになったわけだが、私と、そして、英語喉の実践者の数をもってしたとき、上に述べた、それなりに英語ができるようになった人達の人口と比べたときに、映画300のスパルタ軍(=喉派)に近いものがあるのかもしれないと思った。 しかし、私は思う。英語の達人と思われている人達は、自分たちでは達人と思っていないのではないだろうか?ただ、自分たちが今までやってきた勉強方法を紹介したいと思ってらっしゃるだけではないだろうか。 例えば、上のURLに達人として紹介されているぐーグルのかたなどは、きっとご自分では英語ができると思っていないのではないか?というようなことを強く思った。インタビューを読んでいて。

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