October 6, 2010

合理的選択 英語喉を選ぶかどうか

英語喉はすでに3年以上たっていて、まだそれがドミナントなものになっていないのが、英語喉のメリットを享受している立場から考えると全く理解できない。 しかし、考えてみると、英語喉を選ぶかどうかはまずは合理的選択というのがある。 思うにASHURAさんが、ほのめかされていたが、結局、自分の英語では限界がありました、、、と告白できるかどうかが鍵ではないだろうか? 私は、実は、英語喉以前でも、それなりに英語ができたので、英語喉を知ったときに、限界があることを認めるという感覚はなかった。あとで考えるとイギリス英語の映画が分かりにくいとか、英語を喋るときに、透明人間になるとか出てくるけど、あまり、自分の限界を認めるという感覚はなかった。そこまで私は英語を自由に喋っていたのだ。だから今でも、英語教材の著者さんが、「最初はだめだったけど、がんばったら向上した」というようなことを書いてらっしゃるけど、ちょっと腑に落ちない。普通、英語ができる人は、昔から、最初からできるからだ。文法などが暗記の対象というより、アドリブのためのものだという感覚があり、適当?な使い方を勘で知っていて、発音も、ちょっと喉の奥で喋っている人達だろう。ただ、そういうスキルは、本になりにくく、売りにくいので、言っても受けいれられにくい。だから努力が大切だとか、説教じみたことばかりになる。 <ちょっと脱線するが、姪にキーボードを買って送ったのだが、私としては、ピアノを習っていた妹に、ドミソ、ドファラ、シレソの3コードさえ教えてくれれば、子供ならば楽しめるという感覚があるのだけど、妹としては、習いにいかせんと無理じゃないか?という普通の常識人の感覚がある。たぶん、私はギターも、英語も、この調子でマスターしたのだと思う。何が核なのかを知っているので、学校にいって努力しないといけないという感覚がない。私は現在、滞在中の、義理の父にヘビメタのアドリブ奏法を教えているが、結構、簡単だよ。ブルーススケールを感覚的にマスターしてもらっている。> さて、英語喉を選ぶには、さらに、英語が通じないと困るという環境がいるかもしれない。実際、日本では、英語ができなくても良いし、職業的に困る人もそういない。 本当に困る人じゃないと、英語喉を選びにくい。特に、英語ができないと仕事がないとか、そういう切羽詰まった状態。 英語喉?ふ~ん、で終わる人たちは、切羽詰っていないのではないかな? ただ、DCに住んでいる日本人で、別に仕事とかで切羽つまっていなくても、あせる人はたくさんいる。だって、例えば、自分の住所を言っても、通じないのだから。救急車を呼ぶときなんてどうする???? ** しかし、日本でも英語を必要とする仕事があるだろう。もしかして、すでに帰国子女のかたがたが、やっているので普通の日本人には関係のないことなのだろうか。日本大使館に電話したとき、英語がネイティブな日本人が出て、あ、そういう仕事は、帰国子女さんが、活躍されているのかなあとおもった。

Read more