February 21, 2010

英語教育の批判理論へ  英語教科書言説の脱構築の試み

 100%の聞き取りができ、英語も日本語と同じように喋れて使える(読める、書ける)立場から、ひさしぶりに、日本の英語の教科書、中学1年用を、トイレで読んだ。   まずスキットがあって、そのあと、ルールの説明がある部分が、、、これは前から気がついていたが、何かおかしいとおもった。スキットには色々雑多な語や、文法みたいなのが混ざっている。本来ならば、まずルールを説明し、そのルールの特性、使い方を示すようなものを読むべきである。これは、日本の教育文化の特徴だと思う。まずは、やってみよう、、、的な感じで、なにか雑多なものにとりくませておいて、あとから、ルールを説明するスタイルだ。実際は、スキットといってもリーディングでもなんでもないものなのだけど、この構造をとることにより、何か、内容が濃いものに見えてしまう。実際は、教師に、生徒だけの読みでは理解しにくい何かすることを与えるという機能がある。   なぜルールから始めないのか?それをすると、文法の授業になってしまう、、、ということだ。しかし、リーダーのクラスというのは何なんだろう?海外においては、外国語の教え方に関して、そこまでの細分化はない。   実は、今日のテーマは上のことではない。  トイレで読みながら、ある表現がとても気になった。  Do you like music? Yes, I do.  Do you like soccer? No, I don’t.   日本の中学生なら誰でも勉強する、YES+I DO. NO+I DON‘tだが、これが非常に不自然だ。   本当の会話ではYESとか、NOで対処できそうだ。そういう言い方をしても間違いではないのだが、100通りぐらいありそうなもののなかのひとつのパターンにすぎない。   しかし、YESのときは、DOね。NOのときはDON’Tね、、、という風な、文法的なテスト項目となり、英語ができる生徒と、英語ができない生徒を分別化する装置となる。   いや、実際は、YESだけでいいのだし、実際、YESだけのほうが正しいと思う。 しかし、なぜYES、I DOでないといけないのか?   それは、日本語で考えたときに、I DO的なことを足さないと、変だからではないだろうか?   寿司、すきですか? はい   では、日本語では機械的すぎる。はい、、、は微妙に、「はい、聞いています」という意味であり、そのとおりです、、、という意味でない可能性を日本語では残す。 寿司、すきですか? はい。好きです、、、   といえば、比較的自然である。   日本語で考えて、自然であるから、それを英語で再現し、本来ではYESでよいところをYES、I DOが正しいとするのではないだろうか?そして、それをテストにおけるポイントとし、英語ができる生徒とそうでない生徒をつくりだしていく。   実際は、そういう表現をあまり使わないということもあり、英語が本当にできるかどうかに関係がないのだ。   1. 日本語でそういうから、、、という日本語の事情を英語にIMPOSEすることで、知識を構築しているのではないだろうか?   2.そして、その知識は、たまたま教えやすい、使いやすい、、、と。   […]

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英語喉 増刷 6刷め

三修社さんのサイトです。 http://www.sanshusha.co.jp/np/info.do 皆さん、いつも応援ありがとうございます。音声UPや体験談をよせてくださるかたがたも、増え、最近では、「著者がよいレビューを自作自演でやっている」とは言えなくなったと思います。バッシングをされていたかたがたも、ぜひ、もう一度挑戦していただきたいと祈っております。

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