January 30, 2010

二つの考えるテーマ

私は最近、自動車を運転しながら、考えているテーマが二つある。 1.自分らしいとは何か?自分らしく生きるとは何か? 2.英語喉の普及によって、みんなが英語ができる日本にしたいか、それとも、自分だけが英語ができたほうが良いか?著者の立場としては、もちろん、前者が答えだが、できるだけ、著者ではない中立的立場を想定。 1だが、よく歌の歌詞などでに出てくるではないか。私自身は、この数年やっているのは、自分らしさを人生というコンテクスト、あるいは職業というコンテクストで語るのでなく(そうすると、精神論にかたむく、、、説教じみてくる)、もっと身近な、例えば、自分がサラダを食べるとき、どのドレッシングが好きなのか?サンドイッチには、どの種類のチーズが好きなのか?というような日常的な質問を通じて、自分らしさを追及することにした。すると、自分というのがよく分かってきたような気がする。 ただし、自分自身をよく知ることで困ったことも起こった。自分は、納豆、ヨーグルト、牛乳でおなかがいたくなることが分かった。食後すぐにではなく、食べた晩ぐらいからお腹が張り出すのだ。時間差があるために、これまで気がつかなかった。だから、これらの大好物だったものと別れをつげないといけなくなってしまった。 レストランにいって、サラダを頼むときなどに、よどみなく注文ができたとき、私は、自分らしい個人になれたと思うのだ。 何がしたいのかよく考えろ、、、という進路指導的な設問は、あまりに大きすぎて、答えが出ない。 2.英語喉で誰でも英語ができる日本社会、、、。これがいいに決まっているのだが、逆にできない人がいたほうが、できる人にとっては得という感覚があると思う。しかし、結局のところが、国全体が英語というスキルを得たほうが、いいはずだ。経済はゼロサムゲームではないと思うので。 例をあげたい。英語喉で、国民一人あたり3人の外国人の友人ができたとする。その人たちが日本へ遊びにくるならば、きっと一人あたり40万円は落とすだろう。すると40かけ3で、100万円以上の内需拡大が見込まれる。 それを国民の多くが実践するならば、どれだけの経済復興が期待できるであろうか???? もちろん、大きな会社だけがもうかるのではなく、小さな会社や個人も、英語を通じて、その富の蓄積に貢献できたらいいだろう。 現在、日本の借金はたしか一人あたり何百万円にもなるんだったと思う。そういうお金は、個人個人がグローバル化し、外国人を(これは1例ね)、日本に招き、楽しんでもらいつつ(またリピーターになるならば)、消費してもらえば、10年ぐらいで返せないだろうか??? 現在、かなり英語力のある人たちは、他の人たちが英語力をつけていくうえでの、強力なリーダーになると思う。いくら英語喉があったとしても、さすがに、日本語は英語とは違うのだから、色々と良い指導が必要であろう。これまでは、受験英語とか、やってもやらんでもどうせ英語はできないというようなものばかりだった。これからは、教えれば教えるほど、英語ができるという状態がある。     

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