January 13, 2010

アンチネイティブ信仰をやめよ

「ネイティブ信仰」をするものを批判する動きがある。ネイティブの英語がすべてではない、日本人には日本人の英語があってよい、、、という立場である。 実際には、ネイティブ信仰をしている人なんていないのではないだろうか。 というと、数々の英会話学校や英語の教則本があるではないかというかもしれないが、英語は英語ネイティブによってしゃべられているのだから、ネイティブの英語をモデルとして勉強するのは当たり前のことだ。そうでなければ、カタカナで英語をしゃべっておれということになる。そんな英会話学校に誰が行きたいだろうか。 あるいは、ネイティブ信仰というと、スラングを使い、ぺらぺらとしゃべる若者が想定されている。しかし、ネイティブ信仰と心配するほど、ぺらぺらしゃべっている若者、いや人はあまりいないのだから、心配する必要はない。 英語発音の本類をさして、ネイティブ信仰だと批判するのは、的外れである。カタカナで英語を読んで、英語を教えろというのであろうか。 実際は、誰もネイティブ信仰なんてしていないのである。 それでも、「ネイティブ信仰」を批判する人たちは、世界にはいろんな英語があるんだ!という言い方をする。例えば、こないだ、英語でしゃべらないと、というので、いろんななまりを聞くコーナーがあったとか。 英語が聞けないがゆえに、日本人が知らない事実がある。いろんななまりがあっても、その人たちの間でお互いを理解しているということである。例えばインド人の英語をアフリカの人が聞いても、アフリカの人は理解できているのである(ある程度英語を勉強している人たちのことだ)。 まだ英語喉をやっていない日本人としては、「ね、世界にはいろいろな英語があるんだから、日本語英語もあっていいよね」と思いたいことであろう。 しかし、事実は、日本人と韓国人以外のノンネイティブ英語話者はお互いを理解しているのである。 それは、シラブルの数をまちがわないことと、喉で発音している、、、ということが理由である。 中国人の英語も世界で通じる。だから、中国の教育を受けたリーダーたちが、英語がしゃべれるというのも理解できる。口発音かもしれないが、シラブルの数が正しいのである。 もちろん、ネイティブに聞けば、「うん、インド英語分からないことがある」などと言うだろう。それは、聞いている日本人の意図を察して答えることがひとつ(元気と聞かれて、病気でもおもわず元気と答えるようなもの)、もうひとつは、極端なケースを想定して答えてしまうことも原因だ。さらに、日本人と韓国人の気分を害したくないだろう。 日本の国際空港では、英語のアナウンスがゆっくりと流れる。ものすごいゆっくりさだ。 それは、英語が必ずしもネイティブでない人への思いやりだろう。 しかし、日本人と韓国人以外で、英語をやってきている人は、ゆっくり読まなくてもすべて音が聞けている、、、ということは知っておいてほしい。 当然、韓国人の観光客にとってはありがたいことであろうが、空港ではすでに韓国語の放送がされているように思う。 英語喉で聞き取りができだすと、逆にゆっくり言われると、気が散って意味がわかりにくくなる。ボンボンボンどころか、ボン      ボン      ボン  ぐらいのスピードだ。  

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