November 10, 2009

ベラスケスの絵とフーコーの解釈

フーコーが本「言葉と物」の中でベラスケスの絵をとりあげて、そのなかに出てくる登場人物の「視線」を問題視したことがある。絵の中で視点が交錯するなか、実は、見られているのは、その絵の風景を見ている人(奥のほうの鏡にうつっている王様と王女さまだったか)だというような分析だった。何がポイントだったかよく覚えていないのだが、すぐには、目に見えない根本的なもの、権力関係を、浮かびあがらせているという点がフーコーらしい分析だ。 詳しくはここ(あとで見てね、、、実際の絵もみれます) http://members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/arch-pic/velazquez.htm 英語喉をやるとこれまで見えていなかった、視線の交錯のようなものが見えてくる。最近、日本で人気がでているイギリス人の若い女性で、日本の歌かなにかに合わせて踊る人がいて、かわいすぎる、、、と人気である。ベッキークルーエルさんだ。 これはガムのコマーシャルだ。 http://www.youtube.com/watch?v=q1zV2VXVjt4&feature=topvideos この動画の空間にうよめく視線が読めるだろうか? 英語喉を読んでいない日本人は、この動画をみて、ありゃーかわいらしいイギリス人だ、、、と。ガムのコマーシャルに外人的な要素がかっこいい、、、となるだろう。 ところが、イギリス人の視点からみると、これは違うのだ。イギリスの日本好きな女の子が、日本の女の子のしぐさや、特有な「かわいらしさ」をまねている、、、ということになる。 日本人は、彼女を外人だと思ってみているが、イギリス人や、あるいは本人は、日本人の女の子の真似をしていると思ってやっているのである。そして、そのことは、日本人は言わなくても知っているだろうと思っているのだ。 機関銃英語、英語喉をやり、また英語をつかって外国人とコミュニケーションしたりしていると、そういう視線が交錯(?)していることが分かってくる。 NHK INTERNATIONALにやたらと、おおげさで、オーオーと言いまくって驚きまくる外人タレントが出てくる。日本人は、「外人さんは、ジェスチャーがオーバーだ」と思ってなっとくするだろう。 外人タレントのほうは、日本人を真似ているのである。 つまり日本の外人タレントは、日本人を真似ているのだけど、日本人は外人はおおげさだ、、、と思い込む。そして英語はおおげさに喋る英語であると思い込む。 だから英語には強く読むところがあるとか、弱く読むとこがあるとか思ってしまうのだろうか。 これまで我々日本人が西洋だとか、外国だとかを語るときに思い浮かべるイメージ、、、これを根本から書き直し、語りなおす必要があるのではないだろうか? これをやりやおすのに、年齢、学歴、職業などは全く関係ない。 一緒にやりましょう! 誰も語っていない真っ白な言説空間が広がっています。

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強く読むところ、弱く読むところ

従来の教え方では、英語には 強く読むところ、弱く読むところ があるそうだ。これは完全に間違っている。もちろん、強く読もうが弱く読もうが個人の自由だが、そう読んだから英語が通じるわけではないし、強いところを気にして聞いていてはついていけない。 さて、たしかにネイティブの英語を聞いているとそういうところがあるようにも思えるかもしれないが、それは、たまたまそう聞こえるだけである。 ところで、日本語を知らないネイティブが おはようございます と、たどたどしく読むならば、日本人の耳には「は」のところと、「ざい」のところが強く?音程が上がって聞こえるかもしれない。喉発音の上下と3ビートが重なりあって、ダイナミックな形で英語のメロディーは生まれる。 従来の音声学によると、内容的に大切なところが強く読まれるらしい。 すると、このネイティブにとって「は」と「ざい」が大切なのか? そんなわけはない。 強く読むところがある、弱いところがあると、信じて、繰り返していると、何かをやっているような気になるだけである。

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