June 18, 2009

通じるか通じないかの境目とは

昨日、犬の散歩をしておったら、外ででかい声でアフリカ系の人が、携帯電話でしゃべっていた。その言葉は英語ではなく、フランス語みたいな言語だった。ラテン系の単語をたくさん連射していたし、ダコー(了解)とか言っていたから、こりゃフランス語じゃと思った。電話が終わっていたので、 今のはフランス語か? と言って、フランス語で話をしてみた。 通じるときと通じないときがあるのだが、それはただ単に、発音位置の違いだ。 ちょっと、照れて、口のほうにくると通じない。ありゃ、だめだとおもって、首の根元でしゃべると、全く問題なく通じた。 多くの人々が語彙がだめだ、文法がだめだ、だからそういう基礎をまず勉強しよう、と机へ向かうのかもしれないが、私のこの経験のなかでは、単に首・喉を鳴らすかどうかの違いだし、さらに、口発音気味になるのは、単に 照れる からだ。照れたら、なぜか、口のほうに行く。 フランス語よりもスペイン語話者のほうが多いのだが、さっきも、掃除をしていた人が、携帯電話でしゃべっていて、その横を通り過ぎた瞬間、理解しようとか思っていないのに、 CASI SIMILAR (CAS-SIS-SIM-MIL-LARと発音する、、、喉をだらーんとさせて) と言っているのが頭に入ってきた。ほとんど同じよ!という意味だ。 文法で、CASIが副詞で、SIMILARが形容詞とか全然思っていない。 単にCASIという言葉を知っている。SIMILARという言葉を知っている。そしてそれが頭に音として入ってくると、考えなくても、意味が分かる。 そんなものなのである。 喉以前は、なんとなく、文法構造を意識しながら、推測しながら聞いていたのかもしれない。例えばYOU AREと来ると、次はなんとなくAとか名詞とかが来るとかいうことを無意識のうちに期待していたし、また人に英語について語るとき、「英語がうまくなるとそういう予測ができるようになってくる」とえらそうに講義したこともある。 今は、聞く言葉の単語の一つ一つが単なる名詞に聞こえる。昔、野球の選手で球がとまってみえるといった人がいたっけ? ちょっと、昨日のフランス語の会話を再現してみた。 www.estat.us/blog/french2.wav  

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