June 2, 2009

茂木さんの番組のプロフェッショナル 細野秀雄さんのが面白かった

昨晩、NHKを見ていたら、茂木さんの番組で、とても面白い人が出ていた。細野秀雄さんという科学者(化学者?)で、材料を研究している人。コンクリートとか。 http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090526/index.html 普通は、茂木さんの番組は、根性論、精神論に傾いてしまいがちだと思う。そして、いかにただ働きが大切か、頑張ることが大切かが前面に来て、若い人が見たとしたら、逆に、困る方向に向かうメッセージが強い。さらに、がんばってもどうせそんな風にはなれない人ばかりでてくる。先週は、役人の人だったが、現在の日本で彼のようになれる人は大学の1,2,3年生ぐらいの人のなかで、運良く試験に通る人、また試験勉強をいとわない人だけだ。参考に全然ならない。(さらに、役人の人の活躍は分かるが、連日、日本列島を旅し、人(職人さんとか)を訪ね、情熱で人を動かすというが、税金がうまく効果的に使われているのか?評価はどのようにされているのか?情熱で動かすというが、それはよいメソッドなのか?精神論ではないのか?そんな楽しそうな仕事にに、皆が自由につけないとは、職業選択の自由の精神が泣くのではないか?) ところが昨日の細野秀雄さんの番組は面白かった。わくわくした。自分でもあんな研究や開発ができるんじゃないか、、と思えるほどだった。我々の日常生活(仕事とか、観察とか、喉の旅とか)にも生かせるようなポイントがたくさんあった。 特に面白かった点。 彼の師匠である人に(公害問題に取り組んでいた人)、細野さんが、自分も公害をテーマにしたいと言ったら、公害はその時代の問題であり、将来の問題ではないかもしれないから、とらわれずに、自分のテーマを探せと指導した点。時代によって、大切なことが変わるという真をついていると思った。 細野さんが、目の前の事実をとらえることを大切にしている点。本にこう書いてあるから、正しい、、、ということではなくて、事実を大切に、、、ということがすばらしいと思った。本と事実が違う、違いうると言う点は、やはり科学である。 細野さんがやっている科学が、色々やってみる、、、という試行錯誤に基づいている点。あるとき、材質の色が変わっていた、、と。誰もそれに気をとめなかったが、細野さんは、それが気になり追求したと言う点。 細野さんの助手がしゃべるとき、全然、上唇を使っていなかった点。全ての日本語の音を正しく発音できていた。MもBも。あ、これはちょっと論点がずれたか。 助手さんが、新しい提案をしたとき、細野さんが、「それを裏付ける論文あるんか?」と聞いたら、助手さんが、「自分でやってみたらそうでした」と言った。細野さんがそれを聞いて、おーそーか、じゃあ、やってみろ!と言った点。 目の前の事実から目をそらさないとはそういうことだろう。音声学の人が目をそらしている事実が色々ある。 1)なぜアーと言いながら、舌をべろべろと動かしてもアがイになったり、あるいはアが違う音になったりしないのか?(喉パラダイムからの解説:舌の位置や動かし方は、微調整であり、音の核ではない。微調整の部分を強調して、日本人が練習しても正しい発音にならない) 2)なぜ、西洋人は、日本人と声が違うのか?(喉パラダイムからの解説:日本語は口発音、英語は喉発音。喉は首の根元から、口までの長い楽器である、、、当然、声の深みが違う。その深みを持ってでないと、ヨーロッパ言語の発音は不可能。例えば米語におけるSHIPのIは首の根元からでしか出せない) 3)なぜネイティブは、普通にしゃべるとき(映画を参考に)、英語音声学の本に書いてあるような口の開きかたをせずにしゃべるのか?(喉パラダイムからの解説:音声学の教科書に書いている口の開き方は、幻想。ネイティブの先生がおおげさに教えようとしたことからの勘違いである。) 細野秀雄さんならば、英語喉を分かってくれると思った。 茂木さん自身もBLOGで細野先生に関することを書いてらっしゃるが、私の見方と違うと思った。 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/05/post-574a.html 茂木さんの感動はここにある: 青春の日に受けた感動が、人生の時の経過の中でいかに伏流して、やがて思わぬかたちで姿を現すか。 私の感動は、これだ: 今、ここで、何を学べ、何が役立つか?である。細野さんの、事実をしっかりと見るという方針は、日本国民の誰でも使える方針だ。 茂木さんの視点でいくと、偉い人は、皆、小さいころが違う、若かりしころが違う、、、となる。そうなると、普通の一般市民で我々にとっては、手がとどかないということになる。 国家の品格の藤原さんも、偉い人は、小さいときにこうした、ああした、という話が多い。 日本国民のほとんどの人にとって関係のない話であり、ちょっと違う観点から言えば、小市民は黙っておれ、、、というメッセージとなる。 もちろん、こんな悪いことを考えている人はいないが、結果として、それも、UNEXPECTED CONSEQUENCEとして、プロフェッショナルという番組は、そういうメッセージを発していると思う。 逆に、英語喉が象徴し、目指すのは、日本ドリームであるが、年齢やら教育レベルに関係なく、今、ここで何が具体的にできるかということだ。英語の発音や聞き取りの分野に関しては英語喉がその理論と実践を完成させたのだが、他の分野にもこの運動を波及させなければいけない、、、 と、イソイデ書いているから、生意気に、また大雑把な言い方になるのだが、結局はそういうことだ。日本ドリームとは。 英語喉と機関銃英語には、ノンネイティブの私がどうやって英語を勉強したかなどということは全然出てこない。そんなことは、英語の習得に無関係であるからだ。 大切なのは説明であり、その説明を発明、発見することである。 細野さん、そして助手さんの活躍をテレビで見て、そういうことを考えて、感動した。

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