October 2, 2008

Steven Platzer氏の衝撃

大学では本当に意義がわからんことばかりだったのだが、カリフォルニアの大学で交換留学をしたときに、Steven Platzer大先生の日本史の授業をとったことで、初めて*分かる*という経験をした。 第1次湾岸戦争が起こっていたから1991年のことだ。 この先生は、日本の教育思想史の本の訳者でもある。 http://www.amazon.co.jp/Educational-Thought-Ideology-Modern-Japan/dp/0860085171/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1222984204&sr=1-1 授業がものすごかった。まずは、自由思想の理論の本を読み、またファシズムの本を読む。それで理論的な枠組みをつかんでおいてから、Karel van WolferenさんのThe Enigma of Japanese Powerという本を批判的に読んだ。 http://en.wikipedia.org/wiki/Karel_van_Wolferen 理論を把握しておいて、そのうえで、日本について書かれた本を手がかりに、その本を批判したり、あるいは日本の歴史や社会を分析したり、、、と、今まで体験をしたことのないような内容の授業を受けた。 で、ほとんどがディスカッションなのだ。 先生は、どっかりと足を机の上にのっけて授業をしていた。時々、スラングも出るのだが、「私の発したフランス語をEXCUSEしてくれ」とよく言っていた。 で、クラスの課題として、20ページか何かの論文を書くんだけど、私は、初めて、自分で資料を集めて、それを批判的に検討するという、当時はものすごく高度に思われる作業をやった。 初めて「分かった」と思った。 勉強するとか、研究するとはこういうことなのか、、、と。 で、先生が、なんと、その論文を授業で発表せよ、、、というようなものすごい機会をくれて、なんとか先生の助けを借りながら発表した。そのとき配った自分のペーパーの一部をクラスに配ったんだが、クラスメートの一人が、これはどこの論文からコピーしたんだ、、と聞いてきて、これは俺が書いたのだといったらえらくほめてくれたのがうれしかった。 そのあと、先生との消息は切れた。日本に戻り、卒業したのだが、アメリカの大学院に行こうと考え、先生に推薦状を書いてもらいたくて、消息を追ったが、どこに消えたのかわからない。当時はインターネットがなかった。1991年あたりの話だ。 シカゴ大学の大学院では社会学を専攻したのだが、1998年あたりだっただろうか、修士論文を追え、博士論文をやっていた私はあるとき図書館に行ったのだが、どこかで見たような人がエレベータの前にいた。 どっかで見たような、、、というような目でその人は私を見ていたのだが、エレベータの扉が閉まったので、あまり気にしなかった。 でも、どっかで見たような気がする、、、なあと私も思った。 続く ま、結局のところ、シカゴにて大先生と再会するのであるが、博士論文の指導の先生の一人がドリーブン先生だったのだが、私がPLATZER氏に教わったというと、椅子からこけそうになるぐらいの勢いで、「彼は本当に教えるのがうまい」と言った。PLATZER氏は昔、ドリーブン先生のTAをしていたことがあるそうだ。 すごい人はいるんだなあと思う。

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大学で分からなかったこと

大学に入って、なぜ先生たちが本の内容を解説するのかが分からなかった。本を読めば書いてあることをなぜ1年かけて解説するのかがさっぱりわからない。そして年に2回の試験を受けるのだが、この解答が返ってこないことなども非常に不思議だったが、どうでもいいという気もした。 あと、京大のだちが数人いたが、彼らの授業がなんか始まらない?4月になっても始まっていないような気がしたのと、あと前期の試験が夏休みの後までない?とか、、、そういうこともなんとなく不思議だったことを覚えている。 分からない、、、という疑問もあったが、色んなことが*ない*のである。当時の日本の大学には(私が分かる限りでは)。 同志社のトイレにはトイレットペーパーもなかった。 なんでや、、、と私は愕然としたが、遅かった。 その足で、学生課に行って(今出川校舎だったと思う)、たのむから紙を置いてくれといったら、考慮するということだった。 だから、今、同志社大学のトイレに紙があるならば、それは私の業績である。1980年代の終わりころの業績だ。 あと激しく分からなかったことがある。 英文科では購読という授業があって、英語の本をちょっとづつ訳して読むのだ。これはフランス語の授業もそうだった。ちょっとづつ当てられて読んで訳すんだけど、このことの意味(意義?)がわからない。 訳がありゃ、それと照らし合わせて読めばすむことだ、、、と激しく思ったのだが、ひたすら訳す授業が次から次へとあるのである。 3回生(関西ではそう呼ぶ)のとき、先生が、「がんばらんと力がつかんぞ」とおっしゃった、、、。 なるほど、力をつけるために、訳しているのか?と感じた。 最終年度の最後のクラスで、英語指導法の先生が、言った。 皆さん、考えることが大切ですよ、、、と。 ええええ、、、、最後の最後でそんなこと言われても困るなあ、、、とまじで思った。 思い切って、英文科の友人に聞いてみた。英文学を勉強するってどういうことか分かる?と。誰も分からんと言ったので、なんとなくほっとした。 言語学の、これまた日本語の教科書を先生が解説する授業があったのだが、これもやっぱり意義が分からん。先生なんで、自分で読んだらだめなん?と。この授業の場合は、授業が始まると私は眠り始め、終わると目がぱっと覚めたのだが、これだけは本当によく覚えている。 日本語の訳を先生がしてくれても、その日本語が分からんという事件もあったが、先生も分かってないんでしょ?と今では分かる。 あ、あと分からんことがもう一つあった。ある先生が、自分がこの分野を勉強している理由は、私の恩師の何々先生が、XXX君、これ君、やってみないかね、、、と言ったからだ、、、と、ものすごくうれしそうにおっしゃった。その後、何回か同じようなことを違う人から聞いたり読んだりした。 え、どういうこと?

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Los Angels Country club

文部科学省さま この人に国語を教えてもらいたい。 http://loudness.exblog.jp/9224569/

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