我々にとって夢とはなんなのか

最近「エネキチ」状態である。エネキチとは、中1のときの親友が作った造語で、NHKきちがい、、つまりNHKを熱心に見ている、、、という意味だ。彼は「うちのおやじはえねきちじゃあ、NHKしかみんのんじゃ」というようなことを言っていた。「わしんとこもそうじゃ」みたいなことを言ったような気がする。彼とはTHEの発音がザなのかダなのかという議論もしていた。 外務省のバックアップで、アメリカのDCあたりではNHKをケーブル放送に加える、、、というふうになっているらしい。おかげで、日本の情報が毎日入ってくる。 先日は、登山家の三浦さんが、エベレスト登頂の快挙にからめて、「夢はあきらめなければかなうんだ」というようなことを言ってらっしゃった。今朝はスペースシャトルに現在乗り組んでいる日本人のかたが、「夢は大切にしていれば、かなうんだと実感した」というようなことをおっしゃっていた。 それを聞きながら思ったのは、夢として暖めていても、宇宙にいけない日本人は3千万人ぐらいいるだろう、、、ということだ。 頂点になった立場からいえば、「夢はみればかなう」と言えるだろう。ところが、ふもとからみると、全然かなわない。 夢を実現できるような社会にするには、個人が夢を見るだけでなく、制度が変わらないといけないと思う。試験や資格制度などで、落とす、、、という制度では、夢がバクチとなってしまう。何年も試験に時間を費やされ、落ちたらどうやって生活を保障してくれるのだろう。 (私は弁護士さんを日本で見たことがない。弁護士になるために勉強している人を図書館で見たことがあるぐらいだ。) ある程度の能力をしめせば、全員がなれるという制度に変える必要がある。じゃあ、質が落ちる、、、というかもしれないが、それは消費者としての国民のレベルで、質の悪いサービスを避ける、、、ということで対処するのがよいだろう。 NHKで医者がたりない、、、ということを聞いたが、なにか複雑な気持ちになった。なりたくてもなれない人がたくさんいたはずだからだ。 夢の実現のためには、個人の努力もいるが、ちゃんとした制度もいるのである。

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