February 13, 2008

喉なしに、英語が楽にしゃべれるようにはならない

喉のひとつのバクチは、本当に大切なことを、本当にできるようになる順番、指導法で書籍となったことだ。なにがバクチかというと、他のどのような本をみても、簡単で繰り返せる、、、というかんじの本なのだが(英語学習を体育系的な活動ととらえているからであろう)、その様式とかなり違う、、、のである。かなり違うのだから、最初は面食らうだろう。   ところが、この順番、やりかたでないと発音、聞き取りはマスターできないし、またこのステップを踏まないと英語ががんがんしゃべれないのだ。   私自身、もともと英語が、それなりにぺらぺらだったのだが、口でしゃべっているときには、緊張してしまいしゃべれないことがあった。会議などで、なぜか頭の中がブロックされてしったような感じになるのだ。   ところが喉でしゃべりだしてからは、しゃべりすぎか、、、と思うことがしばしばある。会議や発表などで。よく考えると、このしゃべりすぎ状態は、アメリカ人がやっていることと同じではないか。   喉は脳と連結したままで、あやつることができるようになるのではないか。   うーん、意味分かるかなあ、、、。   口をあやつりながらはしゃべれないのだ。口をあやつるには、かなりの脳エネルギーがいるのだと思う。考えながらしゃべれないのである。   口でやっているかぎりはアドリブが難しいのだ。   日本人以外の外国人が学会発表などで、それなりになまりはありながらも、洪水のようにしゃべっているのは、それは喉でやっているからだ、、、と思う。   英語発音や聞き取りができても、しゃべれないと意味がない。喉は、発音、聞き取り、そして長期的には英語の総合力をささえる鍵となる。喉なしに、英語が楽にしゃべれるようにはならない。喉なしに、英語をしゃべることは、水のなかで息をする、、、と同じぐらい無理度が高い。   ここまで書いて思ったことがある。日本には、表現を覚えて使おう、、、というようなアプローチが多い(「チャンクでしゃべる」という言い方もする)。文法を使うというよりは。これは結局のところ、口でやっていると考えられない=文法を使えない=アドリブでしゃべれない -->だから、表現を丸ごと覚えてしまおう、、、という発想が生まれたのではないだろうか。 たとえば、ビジネスの現場(たとえば工場)で使う英語表現集とかある。実際は、何億とおりものシチュエーションが現場では起こるわけで、100ページ程度の表現集では、対応が不可能である。 口だと、考えながらしゃべれないから文法をうまく使いこなせないのである。 ところが、日本人以外の世界のノンネイティブが使っているのは、文法であり、表現集ではない(ツーリストの場合は話が別だが)。 だから日本以外のほとんどの国には、ビジネスの英語とか生活の英語とか、ホームステイの英語とか、試験の英語、、、といったジャンルが存在しない。 喉でしゃべっていれば、脳を同時に使うことができる。だから同時に文法を使えるのだ。

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