池谷さんのエッセイ(http://gaya.jp/english/katakana.htm)を読んで思ったこと。今日はそれを書いてみる。


池谷さんの言っているをまず引用
引用始め*************
英語の上達はあきらめよう!?
 自転車の練習は、40歳になってからでも、50歳になってからでも可能である。運動制御系の可塑性は年齢に無関係で、歳をとっても衰えることがない。一方、言語を習得するための可塑性は、年齢とともに急激に衰えることが知られている。言葉を覚える能力は、一般に8歳までであると言われている。この年齢を過ぎると、新しい言語を覚える能力は急速に低下する。「9歳の壁」と呼ばれる脳の変化だ。こうした現象が脳に備わっている理由は明らかになっていない。しかし、私たちはこれを事実として受け止めなければならない。
引用終わり*************
 

断っておくが、このエッセイはすでに英語喉革命を経験した人を読み手と想定して書いている。当然、上の池谷さんの発想は(といっても、脳科学を待つまでもなく普通の人が考えている典型的なことかもしれないが)、英語喉実践者から考えると間違いである。
 

もちろん、英語喉をまだ未経験の人には、理解できないことだろう。が、それはしょうがない。
しかし、池谷さんのやっている脳科学の観点から見ると「真」なのであろう。ということは、脳科学の何かが間違っているということになるが、一体、どこが間違っているのだろうか(結論としては、間違いということではない、、、という方向に行く)?
 

一つには、日本人以外であれば、8歳すぎても、英語を使いこなすようになるのだが、日本人が例えばメキシコ人の喋る英語を聞いて、なまっていると思い、結論――>大人になって英語を喋るとネイティブレベルにならない、、、と勝手に決めてしまうところがある。実際には、メキシコ人はなまっているだけであり、普通に勉強していれば、しっかり英語が喋れる。また2010年の現在では、常に、なまりが強いとは限らない。特に英語よりも、音が多そうな言語を喋るヨーロッパ人(例スウェーデンとかドイツ)は、ネイティブかどうかちょっと分からんぐらいの英語を喋る。
 

日本人が、いや、自分にとって英語が困難だったからということで、他の外国人も8歳すぎたら苦労するものだと思いこんでしまうのだ。
 

しかし、これから、脳科学が間違っているとはいえない。
 

池谷さんが間違った(?)部分があるとすると、ここだろう。
脳は、何かを時間をかけて吸収する。英語も時間がかかる。だから、大人になったら遅いかも、、、というロジックにおいて、ある誤りがある。
 

脳が何かを長い時間をかけて学ぶプロセスにフォーカスした点が、間違い?だったのではないか(正しくは、脳が瞬間的にどう情報を処理するのか、、、にフォーカスするべきだった)。それが顕著に現れている箇所を引用してみる。
 

引用はじめ*************
生まれたときは白紙であって、環境に応じて能力の色付けをしていく。それが脳の姿なのだ。赤ん坊が英語圏に生まれたのなら、英語を話す脳に変化するし、日本に生まれたのなら日本語の堪能な脳へと変化する。これらはすべて訓練の結果に生じる可塑性である。自転車に乗らなければ脳は変化しないし、英語に触れなければ脳は英語に順応できない。あまりにも当たり前な話である。
 ということで、私たちは明快な結論に到達する。

英語勉強は努力あるのみだ
引用終わり*************
 

池谷さんが、何を間違ったか?ということが議題だ。
 

発想の転換をしてほしい。
 

脳がいかに、赤ちゃんのときから発達していくかというDEVELOPMENTALなプロセスでなくて、脳が情報を選択する、、、という瞬間的なプロセスにフォーカスするとよい。
 

脳は、情報をとりいれたとき、全ての情報にフォーカスしているわけではない。日本人の脳は、英語を聞いたときに、その口のなかの些細な音にフォーカスしてしまう。そして、英語の音の核である喉の音を無視してしまう。
――>だから大人だから英語が聞けない、発音できない、、、ということではない。大人であっても、フォーカスするものが正しければ、言語がマスターできるのである。
 

だから自転車と一緒なのだ。自転車は大人でもバランスの取りかたにフォーカスすれば、乗れるようになる。特に、初心者は恐いからゆっくり進みたがるが、練習しているうちに、スピードがある程度でるからこそ、バランスが取れるのだ、、、ということに気づくのである。
 

英語の聞き取りと発音でも同じだ。英語の音の核である喉の音、立体的な音に耳を澄ましてみよう。聞きどころを同じにすれば、聞けるのである。
 

ところが、従来のパラダイムでは、英語が周波数が高い、、、というようなことを言うものだから、逆効果である。あえて、低音にピッチを合わせるのが正解である。低音、、、というか、まあ立体的で響きの豊かな部分に集中するのである。
 

さらに従来のパラダイムでは語彙が大切だとか言っているから、これもやっかいだ。単語の意味にフォーカスするのではなく、英語のヒラガナにあたるシラブルを一個づつキャッチするのが大切だ。
 

一個づつは早すぎるとおっしゃるかもしれないが、NKJMさんが、アマゾンレビューで言ってらっしゃるように、シラブルを聞くと、ネイティブの言っていることが逆に、ノロマ的に聞こえてくる。例えばTOKYOをネイティブが発音しているのを聞くと(NKJMさんの例)、トオキーヨーウという感じで、非常にノロマに聞こえる。
英語喉実践者にとって、池谷さんの言っていることが間違っていることは確実なのだが、それは脳科学の引用するときに、フォーカスの点を間違ったということだと思う。
 

英語喉の示唆するところは、脳というのは、ものすごく優れていて、正しい場所に焦点さえ当てれば、言語だとか、様々なものをマスターしてしまう、、、ということだ。
 

日本の教育制度や資格制度は、この脳の性格を完全に無視し、壊してしまう、、と私は感じる。例えば、受験のための知識は、その知識をどうマスターし、使うかということじゃなくて、暗記するかどうかという点が大切だ。
 

すると、その知識を本当に生かすために大切なことを完全に無視してしまうことになる。例えば、英語においては、喉発音とシラブルが大切だ。しかし、受験制度では、そのようなものを試験することができない。
 

逆に、紙上で、選択問題などが作れるような事柄ばかりが、強調されてしまう。我々日本人は少なくとも、大人になるまでの時期、脳が最も元気な時期に、完全にピントがぼけたような知識ばかり吸収しなければならない。
知識やスキルは、指導する上で、うまい具合に焦点を絞って教えることができるならば、伝達は瞬間的に起こるものだと思う。
 

今後、日本社会は少子化問題に悩まされることになる。この解決は、年齢にかかわらず、国民一人一人の人的資本(スキル、知識)を向上させることだ。そのためには、知識やスキルを、時間をかけずに、伝達し、マスターするサイエンスを確立しないといけない。
 

そこで、注目すべき概念は、MICHAEL POLANYITACI KNOWLEDGEである(http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Polanyi)。暗黙知と訳されていると思うが、表に出てくる「形」的な説明ではなく、人々が「コツ」的に理解している、説明しにくい形での知識をそう呼ぶ。
英語においては、英語喉が壮大なるコツであったのだ(よしかわさんが、おっしゃっていたように)。
 

私は最近、ギターで簡単なギター進行を弾いていて愕然とした。例えば、GCDG(適当だが)だ。
いわゆる教則本に載っている押さえ方で私は弾いていない、、、ことに愕然とした。
 

じゃなくて、コード間のつながりが簡単なような押さえ方に自分で勝手に変えて弾いているのである。
おそらく、これがギターという分野における暗黙知なのであろう。
 

その暗黙知を持たない初心者は、どんなに教則本を忠実にやっても、挫折してしまうのだ。
それならば、その暗黙知を最初に教えるべきなのだ。
 

さて、動画によって、ギターについて述べたことを説明してみた。

MIXIだと

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=8819196

実際の動画のファイルはここに(重い、、5MEGです)

http://www.estat.us/blog/anmokuchi.wmv

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2 thoughts on “脳科学と暗黙知 

  1. ツバメ says:

    >特に英語よりも、音が多そうな言語を喋るヨーロッパ人(例スウェーデンとかドイツ)は、ネイティブかどうかちょっと分からんぐらいの英語を喋る。

    言語的な歴史の関係が深いから発話の方法が似ているのでしょう。。。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%8B%B1%E8%AA%9E

  2. よしかわ邦弘 says:

    (1)
    脳というのは、大変優れた機能をもっているという主張に賛同します。
    「英語喉」な内容を理解したとたんに、リスニング能力が大幅に上がるのは、
    脳が大変優れた機能をもっていることの証明になっていると思います。
    この経験をすると、英語の幼児教育なんてあせる必要のないこともわかります。

    (2)
    話が飛びますが、
    コツのようなものをヒトに伝えるには、たとえ話が有効です。
    たとえ話というと相手を見下したように誤解されがちですが、そうではなくて、
    これは、脳の優れた機能(アナロジーを働かせる)を活用した有効な方法です。
    コンピュータはいまだにこの働きは弱いそうです。
    〔わたしは良書「ゲーデルの哲学 (高橋昌一郎著、講談社現代新書)からこのことを学んだ〕

    英語喉は、いろんな引き出しをもっているので、
    このようなたとえ話のフレーズがたくさんありそうです。

    「英語にとってのヒラガナがシラブルだ。」
    「英語ネイティブは、声変わり中の「がまガエル」だ。」
    の他にも、
    「アメリカ人は大阪のおばちゃんである。」(藤原正彦氏に反論する)
    「アメリカ人がふんぞりかえってしゃべっても悪気はない」
    等の、米日間の比較論も、英語喉での主張の射程圏内と思いますがいかがでしょうか。

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