大学生の就職内定率が過去最低である。57%ちょっとだそうだ。大学によっては、就職ができないのが普通のところもあるということだろう。

アメリカにはいわゆる就職活動というのは制度的にない。大学を終わってから、就職活動をする。というか、一生、就職活動とイメージしたほうがよい。だから、大学時代に右往左往して悩まない。悩んでもしかたがないからである。

アメリカ人の大学卒業者のCVを見ることがあるが、本当に人的資本マシーンである。ソフトウェアが何種類も使えます、こんなことできます、あれできます、インターンはこれをしました、、、などなど。大学の4年間、しっかり勉強し、経験し、活動してきている。外国語などもできる学生が多い。元々、外国人であれば、英語を含め、3ヶ国語ぐらいできるのもたくさんいる。いわゆる文系っぽいのに、統計ソフトのRがつかえますとか。

日本の大学生も、就職は大学卒業後にして、大学時代は、人的資本の蓄積に集中してもらいたいものだ。英語もその一つだ。英語喉は3年前に出ている。今、大学4年生で就職活動中の人達が早い段階で英語喉に出会えていたら、今、胸をはって、英語ができますと言えただろう(今朝、NHKで英語を活かしたいと、胸をはらずに言ってる学生が写っていたが、英語はおそらく使えるレベルではないだろうと思った。聞いているほうも本気にしていないと思う。)

今、もし自分が大学1年生だったらどうするだろう?ウェブプログラミングとか好きなのでPHPとかMYSQLをやるとおもう。さらに、マルチメディアのことなど独習したい。ドキュメンタリーなど作ったりしたい。

NHKで就職活動中の人がうつったが、リクルートスーツで全員が同じ服装だった。しかし、仕事を得るというのは、いかに、他の人と違うことができるかということではないか?と思う。自分の独自のものを探るというのが、大学時代、いや高校生時代の課題だと思う。

私自身はHLMというのをよくやっているのだけど、多くの人がHLMというソフトを使ってHLMをやるのだけど、私はSASを使ってHLMをやっている。SASを使ってHLMをやるというのが、非常に独特といえば独特。で、今まで書いてきたシンタックスやらマニュアルなどをネットに載せている。最近、SAS社がPROC GLIMMIXというのを本格的にリリースしてくれたおかげで、ますます、仕事がしやすくなった。SPSSをやっていたら、できなかったように思えてしかたがない。

ちなみに、大学時代には就職活動をしなかった。英語に自信があったので(そして、今考えると、回りの学生はあまり英語ができなかったと思う)、私立高校の英語教師の試験を受けたら通ると思っていたので、一箇所を受けてそこを通った。

英語は実際に使うことでマスターした。

ぜひ、英語喉を早く始めて大学生には、自信をもって、英語ができますと言って欲しい。というか、中学ぐらいからはじめたらよいのに。 そしたら、卒業までには、英語が当たり前になっていると思うのだが。

この厳しい経済のなか大学生ができるのは、自分で事業を起こすぐらいのイメージで自分に投資しておいて、運がよければ会社に就職する、、、という感覚で大学時代をすごすのがよいのではないだろうか?自分で事業をおこすイメージをすれば、何が必要か見えてくるのではないだろうか(実際に事業を起こすのは、しんどいのであくまでもイメージ)?

会社に就職してやろうとして、準備すると、やれ資格だとか、やれマナーだとか、やれ一般常識だとか面倒になってくる。

例えば、私が大学1年生だったとしたら、まずPHPとかMYSQLとかをマスターしたいだろう。

明日から米国は感謝祭のホリデーです!

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2 thoughts on “大学生内定率57%時代

  1. Chisato Hotta says:

    kaze さん
     
     おひさしぶりです。貴方の言うことあたっていると思います。私が韓国に1994年に留学してたとき、ヨンセイ大学の学生は、大学の勉強はあまり真剣にやっている様子がないのに、トーイックのテストは熱心に準備していたのを思い出します。其の時点で、韓国の企業は英語が出来なければ、まず、最初のスクリーニングにもパスしないということで、学生は必死でした。そのとき、日本語を学ぶ事が、英語についで、重要だったのを覚えています。昔は、日本語を学ぶ事が価値があったんだなーと思うと、何か懐かしい気持ちになります。日本の企業は今頃になって、日本の若者は、語学ができないとか、独創性がないとかいっていて、英語のできるやりてタイプの中国人、韓国人、ベトナム人、などの外国人学生を多くリクルートしています。
     企業の論理は、いい加減なものです。これまで、会社の中の輪をみだす個性の強い人間は受け入れられなくて、皆、上の人のおとなしくする、それが、日本のハーモニーのとれた輪を重んじる職場作りをたすけ、究極的には、日本の発展の原動力になっていると言っていました。
     今になったら、反対の事をもとめているわけで、就職を今決めねば成らない人間には、どうし早くいってくれなかったのかといった感じです。早く、時代を先取りして、若者を指導してくれる人がいなかったのかと思われます。とにかく、若者の於かれている状況は厳しいです。では、楽しい、サンクスギヴィング ホリデイを送って下さい。

    千里

  2. 上川一秋 says:

    千里さん

    メッセージありがとうございます。サンクスギヴィング ホリデイ、ゆっくりすごせました。ただ、自動車の運転が長かったです(片道7時間)。帰りはDCの入り口が超渋滞でした。

    企業の論理の変化に関する解釈、とても面白い視点です。

    千里さんは、アメリカでのご経験でお分かりですが、米国の学生が色々と学ぶのが大学ですよね。私も、学部レベルで交換留学していたことがありますが、授業の名前や先生を思い出すとき、あ、こんな感じの勉強したなとか、こういう感じのことを学んだなということをいまだに思い出します。また読むこと、書くことなど、訓練になりました。

    日本でも、ちゃんと教育があればと思います。私の大学時代など、試験を受けても、そもそも試験用紙が返ってきませんでした。レポートを書いても、普通はかえってきませんでした。それを許している学生も、変ではあります。

    まず、大学の学部の制度をなくすとよいのではないでしょうか?入学前に、日本では学部を決めますが、あれは、効率が悪いと思います。アメリカ式だと、学部卒業と言う言い方をせずに、例えばシカゴ大学だとCOLLEGE卒業で、専門はこれだという言い方をしますが、そういうスタイルがベストではないですかね。つまり、興味にしたがって授業をとり、まあ3,4年生ぐらいから専門的に集中しだすと。

    しかし、おそらく日本でそれをすると、文学部の先生達の仕事が確保しづらくなるのかもしれません。就職に直結しないと経験する生徒が出てきます。しかし、書いたり読んだり、解釈したりすることは、ビジネスにおいても大切なことなので、おもいきって学生を信頼してみるべきではないかなと思います。

    あと授業料は、やはり学期ごととかにしないと、学生の購買者としての意識がうすれるように思います。

    それでは、また!お元気で!

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